12ステップは治ることを求めるのではなく回復を求めるプログラムであり、完成を目指すのではなく成長を目指すプログラムです。
これは糖尿病やガンなどと共通のものです。
ガンには寛解はあっても、完治はないと言われています。
糖尿病も同じです。糖尿病がやっかいなのは数値が良くなると治ったと勘違いし、元の食生活に戻るためにますます悪化するという悪循環があるからです。
この部分にも依存症と共通するところがあります。
1.治ることを、完全になることを求めていたありのパパ
ありのパパの最大の欠点は完全を目指すところです。
どの12ステップ本にも「完全ではなく回復を、完成ではなく成長を目指す」と書かれているのですが、それを読むたびに心の中で「けっ、笑わしてくれるぜ!俺はきれいサッパリ何もなかったように万事解決して、これからの人生は何もなかったような涼しい顔をして生きていってやるぜ!」とうそぶいていたのでした。
この傲慢の壁が木っ端微塵に崩されたのはステップ5で、もう一人の人が「でもね、ありのパパさん。あったことをなかったことには出来ないんですよ」と言われたことによります。
その時にはじめて、自分の問題の核心は「あったことをなかったことにして生きていこう」としているところにあると分かったのでした。
それで「何もございませんでした」みたいな顔をして生きていく生き方を放棄しました。
2.あったことをなかったことにしない生き方の実践とは?
12ステッププログラムの学びのためにほぼ毎週土曜日に東京に行く時期があったのですが、仕事関係の方や近所の方があまりにありのパパが東京に行っているの見て怪訝に思い、「何しに東京に行っているのですか?」と聞かれます。
さぁ、困りました。
ウソはツケません。(ウソをつくと回復が損なわれると脅かされていましたし(笑)。)
それで正直に12ステッププログラムの学びに東京に行っていると告白しますと、お聞きになった全員の方が身を乗り出して「12ステップって何?アダルトチルドレンって何?」とお聞きになります。
そのすべての質問にありのパパは身体を小さくしながら「それはね」とお答えします。
そうするとこれも本当にすべての方がご自分の悩みを話し始めるのです。
ありのパパは内心「お〜い!そのためにここに来たんじゃないだろ〜」と思うのですが、仕方ありません。
全部、お話をお聞きしました。
「何もございません」みたいな顔をして生きていた時には、キリスト教のことを質問なさる方はおられました。
しかし日常生活の中で、世間話をしている中でご自分の悩みをお話になるというようなことはかつてありませんでした。
これはありのパパが三年前に治ることを放棄して回復することを求め、完全になることを放棄して一歩一歩成長することを求めると決めたことが起点になっています。
まさにこれは正しい決断でした。
3.「依存症は治らない病気」という主張は医学的にも根拠がある
自助グループに参加される方にとっても、「治ること・完全になること・完成されること」を放棄していないと、回復することは難しいのではないでしょうか?
「私は治らない。一生このまま」と心を定め、回復のために徹底して12ステップに取り組まれる方がぐんぐんと回復なされるのだと思います。
この『治らない』というのは根拠のない思い込みではありません。
医学的に根拠のあることです。
それは強迫観念と渇望現象を特徴とする依存症の回路が脳の報酬系にいったんできてしまえば、それは死ぬまで無くなることはないと言われているのです。

◎回復と平安を祈っています。