依存症からの回復を妨げる最大のものは否認です。
なぜなら「私は依存症です。助けてください」と神に求める人だけが回復の力を受け取ることができるからです。
まず依存症別にどのような否認があるかを見て、その次に否認を打ち破る方法を見ていきます。
目次
1.合理化された行動の影に否認が潜んでいる
①アルコール依存症者の否認
「私は単なる大酒飲みであって、アルコール依存症などではない」と思っている限り、その方は12ステッププログラムに取り組もうとはしないでしょう。
これなどは分かりやすい否認の例ですが、もっと分かりにくい否認もあります。
たとえばノンアルコールビールをアルコール依存症者が飲んでも良いと考える人がいます。
確かにノンアルコールビールにはアルコールは含まれていませんから、飲んだとしても渇望現象が起きることはありません。
しかし「なぜノンアルコールビールを飲むのか?」という動機の問題を考えることが大切です。
それはアルコールを摂取したいから、ノンアルコールビールを気休めに飲むのではないでしょうか?
そうだとしたら、強迫観念のスイッチが入るのは時間の問題だと言わなければなりません。
②性依存症者の否認
性依存症者が「マスターベーションをしても何ら問題はない」とする主張も、マスターベーションが問題行動のスイッチを入れる役割をしていないかどうかを確認する必要があります。
③摂食障害者の否認
過食の問題を持つ人が「一週間に一度だけは何も考えずに食べる日を設けている」と言っても、それを額面通りに受け取ることは出来ません。
摂食に依存している人にとって、食べ放題という言葉はスリップという言葉と同義語です。
④癇癪持ちの否認
教育的配慮で「叱りつけました」と言われても、それを額面通りに受け取ることはもちろん出来ません。
怒り依存症者にとっての相手への教育的配慮とは「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」(by山本五十六)のやり方しかありません。
⑤ギャンブル依存症の否認
「スマホなどのゲームならしてもかまわない」とギャンブル依存症者が言うときも注意が必要です。
もちろん課金するなら、それは純然たるギャンブル依存症の再発と言うことができますが、課金しないゲームの場合でもシラフの執行猶予が切れ掛かっているのではないかと疑ってみることが大切です。
2.共依存症者特有の否認
共依存症者は(ありのパパもそうです)「職場の人たちはどうして自分の思ったとおりに動いてくれないのか?」などと、とんでもないことをさぞ当然のことのように少しも疑わずに語ります。
自分の側に問題があるなどとは少しも考えません。ことによったら涙さえ流します。
でもね、私が私のために生きているように、他者もその人自身のために生きているのであって、私のために生きているのではありません。
そうであるのに、なぜ自分が思ったとおりに動いて当然であると考えることができるのでしょうか?
いいえ、少しも考えることは出来ません。
共依存症者の回復を妨げる最大の問題は「他者も、神も、自分の思い通りに動いてくれて当たり前」と考えている事実を否認していることです。
共依存症者の生活上で起きる問題のほとんどは「私は私であり、あなたはあなたである」という事実がお腹にストンと落ちれば消えてなくなります。
消えてなくなるというか、始めから問題などは存在しておらず、共依存症者が勝手に作り上げた妄想でしかないのでした。
3.否認を打ち破るのはミーティングでの仲間の分かち合い
仲間の分かち合いを聞くことによってのみ、自分の中にある否認に気づくことが出来ます。
気づくまでは否認し、抑圧し、合理化したままであり、一向に回復は進みません。
ありのパパも仲間の分かち合いを聞きながら、心の中で「これもいかんのか?あれもダメなのか?」と反論することがあります。
それまでは何の問題もないと思っていたことが、実は嗜癖に至る前段階であったなどということがざらにあります。
生活の中から嗜癖に至るすべてのものを取り除くことがシラフで生きるためにどうしても必要です。
それまでは安定感を欠くシラフの生活を送らざるを得ません。
4.もう一つの解決策である霊的に目覚めること
強迫観念が襲ってくるのは、ミーティングに参加していないときです。
だからといって仲間と24時間一緒にいるわけにもいきません。
この強迫観念に効果があるのは霊的に目覚めることだけです。
霊的に目覚めると、強迫観念が教えるウソを容易に見破ることが出来ます。
5.霊的に目覚めても、気付きがなければ役に立たない
霊的に目覚めても、「これは問題ない。嗜癖ではない」と否認している場合は霊的目覚めの効果はありません。
当然のことですが、「これは嗜癖であり、手放さなければならないことである。どうぞ神さま助けてください」と神に助けを求める人だけがシラフを維持することが出来ます。
以上が、共同体から受ける助けと、霊的に目覚めることが依存症からの回復の二つの解決策であると言われる所以(ゆえん)なのです。
◎回復と平安を祈っています。
ありのパパさん
読みながらほんとにそうだと思いました。
自分の問題点がわかりました。
ハウスウォッチャー
こんにちは、ハウスウォッチャーさん。
コメントをありがとうございます。
ご一緒に回復の道を歩んでまいりましょう。
またコメントしてください。お待ちしています。