人間関係がうまくいっているときにスリップしやすくなる理由は?

うまく行っていない時に不安を感じるのは普通ですが、うまく行っている時に不安を感じる人がいます。
誰を隠そう、ありのパパがその人です。
その理由が長くわからないままでしたが、ようやく分かりました。
その理由と解決策を皆さんにご紹介します。

        

1.人間関係がうまくいっているときに不安を感じる理由

ありのパパの中でずっと理解できないことがありました。
それは人間関係がうまくいっている時、スリップしたくなるという現象です。
自分でも「何でかな?」という感じで理由が分かりませんでした。
それが最近、分かりました。
ありのパパは朝ごとに12ステップを踏むのですが、そのときに原因がひらめきました。

明らかになった原因はやはり「私は人が恐い」というところにありました。
目前に繰り広げられる人間関係が順調に行っているように見える時、心の奥底で「いや〜、こんになうまくいくはずない。いつかこの人間関係は破綻するのではないか?」と不安に感じるのです。

これの感情をずっと否認し、抑圧し、合理化していたので気づかずにいました。

        

2.うまくいっているときにスリップしやすくなる理由

旧約聖書に出てくるノアは神に委ねられた一大事業をやり終えた直後に、泥酔して近親相姦の罪を犯すというスリップを体験しました。

昔から「勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ」と言われます。
これは一般的には「敵に勝っても油断しないようにせよ」(広辞苑第四版)という意味ですが、依存症者であるありのパパにはそれ以上の意味が含まれていると考えます。

ありのパパが考える理由は以下の通りです。

すべてがうまく行っているように見える時、内心では「今はうまく行っているように見えるかもしれないが、必ずお前は失敗する」という声が聞こえてくるのです。

もちろん、この声の主は毒親ロボットです。
毒親ロボットには二つの特徴があり、一つはダンボールで出来ており、実際には全然強くないということです。
もう一つは毒親ロボットはゾンビロボットであるということです。
「やっつけた!」と思っても、しばらくすると厚かましく生き返って「お前はなぁ〜」と性懲(しょうこ)りもなく、自分の仕事をし始めるのです。

これはある面では当然のことです。
なぜなら毒親ロボットの正体は強迫観念と渇望現象だからです。
そして毒親ロボットの棲家(すみか)は脳の報酬系にあります。

そのために私たちが将来に対して不安を感じると、嗜癖に陥ることによって不安を感じないようにするという使い馴れた古いやり口を用いたいという欲求に悩まされるのです。

本能には共存本能・安全本能・性本能・将来野心があり、将来の不安は将来野心の一つです。
将来野心とは、将来にわたっての共存や安全・性本能を確保しようとする本能です。

ありのパパの場合は将来野心の共存本能の中の「対人関係」と、安全本能の中の「感情面での安全」が暴走していました。

        

3.原因が分かれば、解決方法も自ずと明らかになる

原因がわからない間は敵に振り回されますが、原因が明らかになると振り回されなくなります。
なぜならコントロールできるようになるからです。

解決方法は以下の通りです。

①本質的な解決策

12ステップの4・5を通して明らかになった、ありのパパの行動パターンは「恐れが動機となって不正直な対応をなし、不正直な対応が原因となって人々との間にトラブルが起きる」というものでした。

これと対極にある新しい行動パターンは「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」生き方です。

敬意をもって接していると相手の方に分かっていただくにはどうしたら良いかだけを考えているときには、自分の中に恐れを感じません。
そして恐れを感じないと不正直な対応に陥ることも無くなります。

今回明らかになった自分の性格上の欠点に対する新しい行動パターンは「人々の問題を解決することに全力を尽くす」ということです。
なぜなら人々の抱える問題を解決することに全力を尽くしている間は、自分の中にある「いつかはうまくいかなくなるのではないか?」という恐れを感じないからです。
恐れを感じないと、不安を感じないように嗜癖を用いて自分の心を麻痺させようとする誤りにも陥らずに済みます。

②今日一日だけを生きる

「明日のことは明日に心配させなさい」というのが聖書の教えです。
これを忠実に実行します。
将来に対する根拠のない不安に苛まれる時、私たちは明日のことを心配しているのです。
ですから、そのことに気づいて「またやってしまっていた。私は今日一日だけを生きる。明日のことは明日に心配させる」と自分に言い聞かせ、宣言します。

③今まで自分がオーナーだったのを、神にオーナーになっていただく

12ステップの3で「自分の意志と生き方」を神の配慮に委ねます。
そしてステップの11で「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め」ます。
これは要するにステップの3でささげた自己意志が、ステップの11で神の意志として返ってくるということです。

中間施設などでは「自己意志が神の意志として返ってくるまでやり遂げてほしい。しかし現実は捧げたまま返ってこない状態で生きている人が本当に多い」と言われました。
自己意志を捧げたはいいが、神の意志が与えられていないとしたら、それはある意味ではお人形さんであり、地獄を生きていると言えるかも知れません。

神に私たちの将来を心配してもらいましょう。
神が私の人生のオーナーであり、私は自分の人生の雇われ社長です。
この状態になった時、本能の将来不安の暴走をコントロールすることが可能になります。

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◎回復と平安を祈っています。

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