依存症とアダルトチルドレンの回復に必要な三つのパーツとは何か?

ドクター・ボブはオックスフォード運動に参加していましたが、アルコール依存症からの回復を果たすことができないでいました。
それは彼が「解決は何か」(ステップ2)ということと「回復を得るための実践」(ステップ3)の内容は知っていたが、「問題は何か」(ステップ1)を知らなかったためです。

ドクター・ボブはアルコール依存症の問題を罪深さや意志の弱さの問題として捉えていました。
これが彼が回復できない原因でした。

アルコール依存症の回復を求める歴史は、この三つの要件がそろうための歴史でもありました。
これは依存症者個人の回復を求める歴史でもあります。
ここでありのパパの回復の歴史をお話しします。

        

1.二番目のパーツだけで40年間頑張った人の話

ありのパパは回復の三つの要件のうち、二番目の「解決は何か?」「解決策は何か?」ということは知っていました。

(ちなみに解決は「自分を超えた大きな力」であり、解決策とは「共同体から受ける助けと支え」と「霊的目覚め」です)

40年間徹底して信じ続けましたが、ありのパパの人生は1ミリも変わることがありませんでした。

自分のことを「宗教経験のデパート」と自称するほどに様々な霊的経験を持っていたのですが、それでも回復を果たすことはありませんでした。

ありのパパが12ステッププログラムから教えられたことは、残りの二つの要件である「問題は何か」ということと「回復を得るための実践の内容」でした。

        

2.問題は何か?

12ステップが教える二つの問題とは強迫観念と渇望現象です。
そしてこの二つは死ぬまでなくなることはありません。
なくなることはないとしたら、それは「治らない」ことを意味します。
そして問題の本質は私たちが強迫観念と渇望現象に対して無力だということです。

ありのパパが求めていたのは、回復ではなく救出されることでした。
ありのパパが求めていたのは、成長ではなく完全になることでした。
ありのパパの願いは、何もなかったように振る舞えるようになることでした。
「今まで辛いことが一杯あったけれど、今は神の恵みによって『このような私になりました』」と言えることでした。

しかしこれはステップ5でシェアリング・パートナーに「あったことをなかったことにはできないのです」と言われて、自分が今まで求めてきたことが、いかに的外れであったかに気づかされました。

私たちのために備えられている神の力は「回復するための力」なのです。
しかし、ありのパパが求めていたのは「治ること(問題が取り除かれること)」だったのです。

それで40年間、神に解決を求めましたが、自分の心と人生が変わることはありませんでした。
考えてみれば、それは当然のことです。

なぜなら「回復するため」の神の力が豊かに与えられているにもかかわらず、それに背を向けて「取り除かれること」を一生懸命に求めていたのですから。
こんな的外れはことは世界中どこをさがしてもありません。

        

3.なぜ依存症は治らない病なのか?

脳の報酬系という部位に「快楽を求めることを強力に命じる回路」がいったんできてしまうと、それは生きている間はなくなることはないからです。
生きている間に可能なことは、この回路を取り除くことではなく、この回路のスイッチを入れないで生きていくことです。

これが「治ることではなく、回復を求める」ということの根拠です。

あるキリスト教系の12ステッププログラムでは依存症は治る病気であると教えています。
これは医学的に根拠がないばかりでなく、依存症からいったん回復した人々のシラフを危うくすることでもあります。

また別のキリスト教系の12ステッププログラムでは、依存症を病気ではなく罪であると教えます。
これは12ステッププログラムの本質的部分を否定していることです。
もしドクター・ボブがこの団体に属していたとしたら、アルコール依存症から回復できないままで人生を終えなければならなかったでしょう。

4.回復を得るための実践とは何か?

12ステップの3では「自分たちの意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした」とあります。
ゆだねるとは自分は何もしないで神にお任せしてしまうことではありません。
そうではなく委ねるとは神に従うことです。

①何をすれば神に従ったことになるのか?

キリスト教会では「集会に出席すること」「聖書通読と祈り」「伝道」「献金」「奉仕」をすることが、神に従うことになると教えられます。
しかしこれらのものは皆よいものですが、置かれるべき位置が間違っています。
なぜなら、これらのことを実行しても神に従ったことにはならないからです。
これらのものは、神に従っている人が結果として行うことなのです。

②12ステップが教える「神に従う」とはどのようなものか?

それは「棚卸表を書いてもう一人の人に見てもらうこと」「古い行動パターンを捨て、新しい行動パターンを生きる決心と神に助力を求めること」「埋め合わせの人生を送る決心と実践」の三つです。
この三つが実行できていれば、あなたは神に従っているということができます。

5.三つのパーツがそろうときに起きること

ここまで書いてきた内容を(依存症からの回復を目指す)中間施設で教えられて、ありのパパは「どうりで人生が変わらなかったはずだ!」と合点したのでした。

このようなわけで、ありのパパのなかに「問題は何か」「解決は何か」「回復を得るための実践は何か」の三つのパーツがすべてそろいました。

この三つのパーツがそろったとき、ありのパパのうちに何が起きたでしょうか?
そうです。回復が実現されたというだけでなく、人生が革命的に変化しました。
文字通り、日常生活が奇跡を体験する毎日と変わりました。

誤解を避けるために説明しておきますが、これは物事がすべて変わったということを意味していません。
そうではなく、これまでは出来なかったことが、神の助けを得て出来るようになっているのを気づく毎日であるということです。
そして日毎にできることの範囲が拡がっているのを見て、自分でも驚き怪しんでいるのです。

この記事を読まれているみなさんはいかがでしょうか?
三つのパーツはすべてそろっておられるでしょうか?
それとも、どれか一つないしは二つがはっきりしていないとお感じでしょうか?

すべての方々が、回復に必要な三つのパーツをおそろえになられますようにと願っています。

◎回復と平安を祈っています。

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