幸せは自分持ちとはどういうことか?

問題の真の原因を相手の中にではなく、自分の中に求める生き方は相手の奴隷になることでしょうか?
いいえ、そうではありません。
そのような生き方こそ、自分の幸せは自分持ちとする生き方であるのです。

こんばんは、はじめまして、きさらぎと申します。
私は米軍基地の近くに住み、その関係者であるアフリカ系米国人牧師の教会に通うクリスチャンになりたての者です。

ありのパパさんのおっしゃることは正しいと思います。
確かに過去の人間関係のトラブルは避けようと思えば避けられました。
その意味で私の短所が原因というのは正しいです。

しかし、あえて言わせていただけるなら、相手にも全く落ち度が無かったとは言えません。

例えば私の祖母は、私に対してだけではなく誰彼かまわず悪口を言い、ニュースの犯罪被害者に対してすらも、冷酷な言葉を吐く人でした。

今では彼女自身が愛に飢えている上に恐れを抱くことが多かったからだと理解し赦しますが、私にだけ短所があったから喧嘩していたとも思えません。

大抵の人間関係のトラブルは、双方に原因があるものではないでしょうか?

お忙しいところ申し訳ありませんが 、このことについてご意見をうかがいたいです。

こんにちは、きさらぎさん。
ご相談を下さり、ありがとうございます。
ご質問は「大抵の人間関係のトラブルは、双方に原因があるものではないでしょうか?」ということですから、そこに焦点を当ててお答えしますね。

        

1.こちらが子どもで、あちらが大人の場合

この場合は、子どもには全然原因がありません。
原因はすべて大人に求められます。

特に虐待を考慮しなければならないようなものである場合はなおさらです。
12ステッププログラムでは虐待経験は棚卸しの対象外とされています。
そのような人には虐待専門のカウンセラーのところに行くように勧められています。

        

2.双方が大人である場合

この場合、トラブルの責任は双方にあるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
重要なのは、そのトラブルによって心が乱されたのは自分の責任だということです。

きさらぎさんのお祖母さんを例に考えます。
きさらぎさんが子どもの時代にお祖母さんとのトラブルを抱えたのは、きさらぎさんには全然責任はありません。

しかし、成人してからもお祖母さんとトラブルを抱えているなら、それはきさらぎさんに問題があります。
なぜなら、きさらぎさんにはお祖母さんと関わらないという選択肢があるにも関わらず、それを選ばなかったのはきさらぎさん自身の選択だからです。

        

3.共依存傾向のある人が注意すべきこと

共依存の人は自分が共依存状態にあることに気づいていない

「関わらなかければよかったんだよ」と言われて、共依存傾向のある人が「そうだね」と答えることはまずありません。
必ず次から次へと「関わらなければならない理由」を挙げるものです。

しかし、それらの関わらなければならない理由にもかかわらず、関わらないでいることは可能なのです。
そうであるにもかかわらず、関わっているのは自分自身の自由意志による選択なのです。

共依存の罠(わな)にはまらない

「自分が変われば相手も変わる」とカウンセラーに言われて、「あぁ、そうか。私が変わればあの人も変わるんだ!」と病んだ共依存関係をそのままにして自分を変えようと必死の努力をする共依存症者が多くいます。

しかし「たとえあなたが変わったとしても、あの人は1ミリも変わらないかもしれない」というのが真実なのです。
そして何よりも「あなたがなすべきことは自分自身を変えようとする努力ではなく、まず病んだ共依存関係を清算することであるはずです」

カウンセリングでも、そして12ステッププログラムでも、共依存症の方々は非常に熱心に取り組まれます。
この熱心さが、共依存症からくる間違った理解によるものでなければ幸いです。
(ありのパパも共依存症ですが、12ステップに取り組む中で「共依存の罠」に気が付きました)

        

4.相手に問題があっても、だから自分の短所をそのままにしていいということにはならない

幸せは自分持ちです。
誰かが自分を幸せにしてくれるのでもなく、誰かが自分を不幸にするのでもありません。

このような真に自律した歩みを実現させるのが、12ステッププログラムです。
ですから棚卸しを行うときは、他者の原因はいったん脇において、自分自身だけの棚卸しを行います。

        

5.自分の短所が取り除かれたら、トラブルはなくなるか?

理屈で言えば、トラブルがなくなることはありえないというべきでしょう。
しかし現実には、短所を取り除く営みを始めると、その時点でトラブルが激減するというのが偽らざる実感です。
これはありのパパだけの経験ではなく、他の12ステッププログラムに取り組む仲間たちの経験でもあります。

        

6.(追記)幸せは自分持ちとはどういうことか?

「そもそもわたしの中に短所があったので、あの人との関係で私はあのように振る舞った」とはどういうことか?

私たちはトラブルが起きた場合、「あの人があのように振る舞ったのでトラブルが起きた」と考えるものです。
しかし日々の棚卸しをすると、実はそうではないことに気づきます。

日々の棚卸しの実際は以下のとおりです。
トラブルが起きた場合に、まず自分の中に「恨み&怒り、恐れ、罪悪感、後悔」の中のどの感情が生じたかを確かめます。
次に生存欲求の中のどれが暴走したか、あるいは傷ついたかを見ます。
生存欲求には、共存本能(自尊心・対人関係)、安全本能(物質面の安全・心理面の安全)、性本能(秘密の性関係・公認された性関係)、将来の安全を担保する将来野心があります。

どの生存欲求が傷つけられたかが分かったら今度は自分の側の過ち・欠点の本質は何かを探ります。
欠点には利己的・不正直・身勝手&恐れ・配慮の欠如があります。
そして最後に祈りと黙想を行っかどうかを確認します。

ある日のありのパパの日々の棚卸しを一例として申し上げます。

ある人の言葉にとても腹を立てました。
それで日々の棚卸しをすることにしました。
その結果、恨みと怒りの感情を持ったことが分かりました。
更に自尊心が傷つけられたので怒ったのだと分かりました。
その次に問題の出処はありのパパの配慮の欠如だと気づきました。

日々の棚卸しをするまでは、相手に問題があると疑わなかったのですが、棚卸しをやってみると、問題の原因は自分にあったことを知りました。
その時点では、相手の問題などはどうでも良いことでした。
これが12ステップの素晴らしい点です。
幸せが自分持ちになるのです。
問題の真の原因が相手にあるとする場合、相手が態度を変えるまでは真の解決はありませんから、ありのパパの心には平安が訪れないことになります。
しかし12ステップを実践すると、相手の有り様には全然関係なく、心の平安をもって生きていくことが可能になるのです。
それは取りも直さず自分の中に問題の真の原因があることを認めるからにほかなりません。

◎回復と平安を祈っています。

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