人が恐いという感情の気づき方と、タイプ別の恐れの克服の仕方

「あなたは人が怖いですか?」と聞かれて、「はい、私は人が怖いです」と明確に答える方は少ないと思います。
なぜなら大抵の方は自分の中に人への恐れがあると気づいていないからです。
今日は恐れを持っている人の特徴と、タイプ別の「恐れ克服法」を考えます。

        

1.人が恐いと感じている人は先制攻撃する

人が恐いという思いを持っていると、危害を加えられるとか、軽んじられていると感じると、先走って自分から関係を解消したり壊してしまったりします。

また、恐れからくる怒りを正当化するために相手の些細な欠点を故意に過大評価します。
そうしないと自分の行動を正当化できませんから。

この特性が私たちの人間関係をとても貧弱なものにしました。
この文章を読まれている方の中で思い当たるふしのある方はおられませんでしょうか?

自分の側に落ち度があるにもかかわらず相手を一方的に恨むというのは、きわめて利己的な生き方にほかなりません。
私たちはこれを無意識のうちにやってのけているわけです。
しかし、そのカラクリが分かったら、(人生がどうにもならなくなったという)山を乗り越えることが出来ます。

        

2.性格上の欠点の一つである恐れへの対処の仕方

アダルトチルドレンでない人々がもつ短所である「恐れ」と、アダルトチルドレンがもっている「人が恐い」という感情は同じものでしょうか?それとも別物でしょうか?

ありのパパはこれは質においては同一のものであると考えています。
ただ、恐れに支配されている度合いが全く異なります。

①アダルトチルドレンでない人々

非ACの方々の中にも当然のことながら恐れは存在します。

12ステッププログラムの棚卸表には性格上の欠点として【利己的・不正直・恐れ・配慮の欠如】の4つが挙げられています。
これは逆に言えば12ステップは人々の短所は4つにまとめることができると考えているということでもあります。

棚卸し作業をやり、その上で自分の短所に恐れが含まれていることがわかったら、恐れを取り除くことを神に求めるステップの6・7に進みます。

この過程は非ACもACも辿(たど)らなければならない過程です。

②アダルトチルドレンの人々

ACの人々にはステップの6・7をやり続けながら、同時並行で取り組むべきことがあります。
それが統合作業と言われるものです。

統合作業とは「人が恐い」という感情と行動パターンが思考習慣として固着している(これを「ランドリーリスト」とか「問題」と呼びます)のを、より生きやすくするための作業です。

ACの病的な思考習慣にはランドリーリストに挙げられているだけで13個あります。(もう1個はACが擬似アルコール依存症であることを述べている)

③統合作業の取り組み方

13個のランドリーリストの中から自分にとってピンとくるものから取り組みます。

ありのパパの場合は、まず「私たちは嗜癖に依存するようになった」に取り組み、その次に「行き過ぎた責任感」と「病的な見捨てられ不安」に取り組みました。
なぜ二つ同時に取り組んだかというと、行き過ぎた責任感の裏には病的な見捨てられ不安があることを統合作業に取り組む中で気づかされたからです。

通常は一つずつ取り組みます。
そして一つの思考習慣に六ヶ月掛けます。
六ヶ月の間はチェックシートを用いて自分の行動を毎日チェックします。
それと同時に初めの一ヶ月は覚え書きを書きます。
これは日記ではなく、自分の一日の行動を冷静に客観的に分析するものです。
これを最低でも一ヶ月間続けます。
「出尽くした感」があれば、次の統合作業に移ります。
しかし、その間もチェックシートを使って毎日チェックします。
チェクシートの内容は自分で作ります。
たとえば行き過ぎた責任感であれば「今日の行動の中で行き過ぎた責任感からでてきた行動はなかったか?」というようなものです。

ちなみにワークアウトやダイエットのような身体習慣の定着には三ヶ月、家計簿や語学学習などの行動習慣の定着には一ヶ月が必要と言われています。

30日で人生を変える「続ける」習慣

        

3.共依存症の人々はどうすればよいか?

自分の回復そっちのけで、他人の回復に精を出しているとき、私たちは自分に問い直す必要があります。

「私が今やっていることは共依存そのものの行為ではないか?」

この質問に少しでも思い当たるふしがあるなら、他人を回復させる業(わざ)から手を引くことです。

なぜ、共依存症の人々は他人の世話をすることに必死になるのでしょうか?
理由はさまざま考えられますが、最も一般的なものは「他人の世話を完璧にできていない自分には価値がないし、そんな自分は生きていたらいけない」という間違った思い込みです。

もう一歩進んで、ではなぜそのように思い込んでいるのかを考えることが大切です。
そうしない限り「分かってはいるんだけどね〜」という、どうしようもない人生を生きることになります。

ありのパパが考える理由は以下の通りです。
「他人の世話ができない自分は生きていたらいけない」と考える背景に「人が恐い」という感情が潜んでいるのです。
それで相手の意に沿うように必死に努力します。
これは本当のことを言えば、ご機嫌取りに過ぎません。

私たち共依存症者は、この回路のスイッチを入れないで生きていくことが大切ですし、またそれは可能です。

私たちは相手が機嫌が良かろうと悪かろうと、そんなことにはお構いなく生きていて良いのです。
これが真実なのです。

「他人の世話をすることを止め、自分自身の世話をすることを始める」

これが私たちのスローガンになるべきです。

私たちには自分で自分自身を育てる必要があるのです。

◎回復と平安を祈っています。

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