AA(アルコール依存症者の相互支援グループ)のごく初期には多くの規則が作られました。
その中の一つには「アルコール依存症だけを持っており、それ以外の疾患を持っていないこと」というものがありました。
怒り依存症であり、アダルトチルドレンであり、共依存症であり、性的領域にも問題を持っているありのパパなどはこの時点でアウトです。
「お帰りはあちら〜」と言われ、ミーティング会場から追い出されたことでしょう。
しかし彼らはこの規則を守っていると多くの人が助けを得られずに死んでしまうことに気づきました。
それで彼らはそれまであったすべての規則を廃止しました。
その結果、伝統3に「メンバーになる資格は『よくなろうとする意志と意欲だけ』である」と書かれるに至りました。
私たちが、ここから学べることは何でしょうか?
1.なぜ既存メンバーは新メンバーに基準を押し付けようとしたのか?
既存メンバーが新メンバーに対してある基準を求める動機はいくつかあります。
ひとつは外部の人々からの評判です。
評判を気にする理由は、人の顔を気にする村社会意識であり、恐れという性格上の欠点から来ています。
もう一つは共依存という病的なコントロール欲求です。
「あなたは私の考え通りに振る舞わなければならない」という考えです。
これはまさに狂気というほかはない考え方ですが、本人がそのおかしさに気づいていないのはもちろん周囲も気づいていない場合が多いようです。
なぜなら心の中のコントロール欲求は狂気そのものであり、病的ですが、それが表に出てくるときには合理化されており、ある時は善意と慈(いつく)しみに粉飾されているからです。
合理化というのは気をつけて聞いていないと至極もっともなことを言っているように聞こえるということです。
典型的なのは「私はあなたのことを思って言っているのよ〜」というセリフです。
善意と慈しみに粉飾されているとは「まぁ、おかわいそうに〜。なんとかしてあげなくちゃ」というセリフで始まる余計なお世話をさしています。
(もちろん純粋に善意と慈しみから出ている行動もあります。たとえば飢えに苦しむ人々の映像を見て、献金をするという行動です)
2.そもそも 『良くなろうとする意志と意欲だけ』をメンバーの資格とすることが押し付けではないか?
① 『良くなろうとする意志と意欲だけ』とは、誰から見た真実か?
もしこれが周りのメンバーから見て「あの人は良くなろうとする意志と意欲がある」ということだったら、こんなナンセンスなことはありません。
なぜなら、そのことが最大の基準の押し付けにほかならないからです。
聖人ではあるまいし、他人からもそのように見えるなどということは考えられないことです。
もし、そのように他人から言われる人がいたら、そのように他人に見せていないかどうかのチェックが必要です。
人の目を気にして、そのように振舞っているとしたら、そのようなことをしている限り、回復はないと考えるべきでしょう。
② 本人が『良くなろうとする意志と意欲』を持っていると思っているならばそれで良い
たとえ思っていることと、実際にやっていることの間に乖離(かいり)があるとしても構いません。
そもそも考えていることと、やっていることの間に落差があるのが人間というものです。
その差を少しずつ縮めていくのが回復の軌道に乗る秘訣です。
③迷惑行為にはどのように対処すればよいか?
共同体内で行われる迷惑行為に対してどのように対処すればよいかは考えどころです。
その迷惑行為が(肉体的・精神的・言語的)暴力を伴ったものであるなら、それは純然たる迷惑行為であると認定できます。
しかし多くの場合に、病的なコントロール欲求が動機にあり、それが発端となって共同体内にトラブルが起きるというのがお定まりのパターンではないでしょうか?
たとえば小さな動きにも敏感に反応するアダルトチルドレンのミーティングに、絶えず不定期な動作をする発達障害の方がおられるような場合を考えてみます。
(すべての発達障害の方がこのような動きをするわけではありません)
この場合、発達障害の方がミーティングの雰囲気を壊していると言えるでしょうか?
受け取り方にも、対処の仕方にも正解はありません。
この特定の状況においての神の意志は何かを知ろうとすることが大切です。
そして最善ではなく、次善の策を次々と打っていくことだけが、私たちにできることではないでしょうか?
「祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。」
3.12ステッププログラムと共同体の関係とは?
①12ステップが先か、共同体が先か?
歴史的に見ると12ステッププログラムの誕生が先でした。
そしてその次に12ステップを実践する人々のグループが誕生したのでした。
しかし、この順序はいとも簡単に逆転してしまいがちです。
これはそういうものであるとしか言いようがないものです。
それで気がついてみると、共同体の中に12ステッププログラムに取り組んでいる者はおらず、泣き言と毒吐きに終始するミーティングというのもよく見る光景ではあります。
②共同体メンバーが12ステップに取り組むように働きかけることの是非
この場合、押し付けがましい態度は逆効果です。
またどんな場合でも自分自身の回復を最優先すべきです。
自分の回復に取り組むのを棚に上げて、他人の回復に取り組む(しかも頼まれてもいないのに!)のは本末転倒です。
このようなことは依存症者、とくに共依存症者にとってはありふれた行動パターンですから注意したいものです。
他人の世話をするのをやめて、自分自身の世話をすることを始めようではありませんか。
両方同時にやることは決して出来ません。
他人の世話をするのを止めない限り、自分自身の世話を始めることは出来ない相談です。
③ 12ステップに取り組む者の共同体としての姿を取り戻す
誰か一人でも12ステッププログラムに取り組んで真に変化した人がいるなら、他のメンバーは「自分もプログラムに取り組もう!」と考えるようになります。
ですから、そのお一人にあなたがなれば良いのです。
あとは神さまにおまかせです。
神さまが良いようにしてくださいます。
あなたが神の役を演じようとしてはなりません。
「手放して、あとは神さまにおまかせ」すれば、それで良いのです。
◎回復と平安を祈っています。
裁かないということに特化した記事をお読みになりたい方は裁かないで生きていく三つの秘訣をご覧ください。