神からのビジョンに人生をささげる生き方が、満足できる人生の秘訣です。
その秘訣をおすそ分けします。
1.神の計画か、それとも妄想か?見分ける方法
「アブラムは(神の計画は実現すると)主を信じた。そうすると、主はアブラムのその信仰を受け入れられた」[創世記16:06]
たまに、自分の妄想を「神から来た!」と言って大騒ぎし、周りに迷惑をかける人がいます。
神の御意(みこころ)と、妄想はちがうものでしょうか?
それとも、ひょっとして同じものなのでしょうか?
皆さんは、どのようにお考えになられますか?
ありのパパは全く別のものであると考えます。
①妄想の場合
統合失調症に伴う妄想の場合はこの病気特有の症状が現れます。
「神が人を殺せと、私に語られた」などと言う場合もあります。
しかし神は決して御言葉に反する御意(みこころ)を示されることはありません。
なぜなら、言葉は神であり、聖書は神の御意そのものだからです。
昨日言ったことと、今日言うことがちがいます。
それを指摘すると、しどろもどろになり、急に怒りだします。
②御意の場合
健全な信仰者の場合、ときどき突飛な行動に走ることがあったとしても、周囲からまずまずの評価を得ています。
これがない場合は、御意を示していただくことを求める前に、良い評判を得るようにするのが先決です。
示された御意は建徳的であり、誰が聞いても反対するようなものではありません。
(但し、実現可能性については疑問視されることはあります)
馬鹿の一つ覚えのように、いつも同じことを言います。
これこそ、そのビジョンが人からのものではなく、神からのものであることを示しています。
○ビジョンをよく吟味して、それでも神からのものであると確信できたら、歩み始めるべきです。
2.神の意志を受け取るために
①まず祈り求めること
ご自分の人生をあきらめないでください。
「俺の人生こんなもの。わたしの人生なんて、こんなものだわ」と考えてはなりません。
神はご自分のために働く人々が足りないのです。
ですから神とともに冒険あふれる人生を生きたいと願うなら、すべての人にそのような人生が可能です。
②人生をお献げする
自分の小さな願いや欲求を捨てる必要はありませんし、そんなことは出来るものでもありません。
しかし優先順位があります。
いつでも第一のものを第一にする必要があります。
生きている限り、ずっと御意を優先することを求められます。
➂良心に従って生きる
人からの批判に対して謙遜であることが必須の条件です。
もしこのような覚悟がないなら、はじめから神とともに歩む人生を生きようとしないことです。
また、自分には可能であると思い込んだりせず、カウンセリングを受け、客観的に自分を知る必要があります。
そして問題が発覚したら、隠そうとせず、正直に生きる道を選び取り、悔い改めと再出発をなすことです。
3.生きがいのある人生とは成功するだけの人生ではなく、御霊に従って歩む人生
①ノアの物語が教えること
ノアはいつまで経っても神の計画が実現しない人生を長く生きなければなりませんでした。
ただ我慢するだけでなく、箱船を造るという人々の物笑いの種になることを毎日行いました。
最終的には神が語られた通りになるのですが、ノアの人生最大の見せ場のあとには失意のどん底に突き落とされるような失敗がありました。
人生とはそんなものです。
神にではなく、人に希望を置く人はこのようなときに耐えることが出来ません。
ただ自分をいやしくして、神に信仰を置く人だけが耐え抜くことが出来ます。
②アブラハムの物語が教えること
アブラハムは途方もないビジョンを神から与えられましたが、生きている間に実現することはありませんでした。
現代人の視点から見ると、アブラハムの人生は失敗だったように見えるかもしれません。
しかしそうではありません。現代人の視点が間違っているのです。
生きがいのある人生とは生きている間に成功することではありません。
そうではなく人生を神の計画の実現のためにお献げすることこそが真に生きがいのある人生なのです。
このような文章を書いていますと、ありのパパ自身の心が燃えてくるのを覚えます。
どうでしょうか?皆さんもご一緒に、この心燃ゆる人生を生きようではありませんか!
◎平安と祝福を祈っています。