癇癪持ちに悩む男性からのご相談です。
当ブログには、癇癪持ちに悩む方々が多く来てくださっています。
それはもちろん、ブログを書いているありのパパ自身が癇癪持ち(怒り依存症)であり、怒りの爆発という依存症からの回復の道を歩んでいるからにほかなりません。
ご相談内容:
50代、男性です。
職場では「いい人」、疲れ果てて帰った家で、子どもの生意気な態度に我慢の限界を越えたときなど、ときどき癇癪を起してしまいます。
マインドフルネスなど、自分なりに怒りを抑制する努力はしていますが、つまらぬきっかけで「キレて」しまうのです。暴力はありませんが、代わりにモノに当たります。
壁を叩いて開いた穴や、コップを叩きつけた床の傷など見て、自己嫌悪の連続です。
かなり年下の妻から愛されておらず、軽く見られている「寂しさ」も怒りの遠因と感じています。家事や育児の分担も一生懸命やり、自分では普段それなりによき夫、父親のつもりでいました。
しかし、たまにとはいえキレかたが激しいため、先日はちょっとした言い合いで「怖くて何も言えない」と言われ、今も落ち込んで気力を失っています。
実は今日、妻が子どもを連れて、実家に戻ってしまいました。自分の特性として、ADHDの傾向(父親も同じ)は認識していますが、やはり困るのは癇癪です。
巷にあふれる「怒らないコツ」的な本も読み漁りましたが、あれはイライラ程度であって、私には当てはまらず役に立ちません。
「10数えなさい」なんて、瞬間的にキレて終わっている状態なので、そんな余裕などないのです。私は過去に離婚していますが、この癇癪が大きな原因の一つであったことは認めざるを得ません。
そして現在の新しい家庭でも同じ状態のため、また愚かな過ちを繰り返しそうな状況となり、過去のトラウマ(寂しさで自殺を考えたなど)も含めて恐れています。カウンセリングを受けるべきか、精神科で治療すべきか…。
どうしていいかわからず、一人悶々と悩んでいます。
ありのパパさまなら、ひょっとしてこのやるせない心情を理解していただけるのではと、一方的ながら助けを求めさせていただきました。
こんにちは、サイレント・マイノリティさん。
ご相談を下さり、ありがとうございます。
お便りをお読みしていて「そうそう。あるある。そのとおり」と感じました。
大丈夫です。定められた方法に従って歩むなら必ず良くなります。
すでに多くの方々が怒りの爆発から回復しておられます。
では、ご一緒に回復の道を見てまいりましょう。
依存症における問題は2つあります。
それは精神面での強迫観念と肉体面での渇望現象です。
強迫観念とは「怒ってはいけない」と分かっているにもかかわらず怒りの波がやってくると抵抗することなく怒りを爆発させてしまうことです。
渇望現象とはいったん怒り出してしまうと、それがすぐに怒りの爆発につながってしまうことです。
ですから怒り依存症の人は、普通の人と同じように怒ることが出来ません。
怒り始めると一瞬のうちに怒りの爆発へとつながってしまいます。
原因は脳の報酬系という部位に「快楽を強力に求める回路」ができてしまうことによります。
そして、この回路はいったんできてしまうと生きている限りなくなることはないと言われています。
しかし解決策があります。
問題が2つあるように、解決策も2つあります。
一つは共同体(同じ問題を持つ人々の自助グループ)に参加して助けと支えを得ることです。
もう一つは『霊的目覚め』です。
霊的目覚めとは回復するのに十分な人格の変化であり、 どなたであっても12ステッププログラムに徹底して取り組むなら必ず与えられるものです。
それでは霊的目覚めを得るための道をご説明いたしましょう。
1.無力を認める(ステップ1)
無力を認めるとは「自分の思い通りに生きていけなくなった」ことを潔(いさぎよ)く認めることです。
サイレント・マイノリティさんは、この点はすでに認めておられますね。
次に行ってみましょう。
2.自分を超えた大きな力が健康な心に戻してくれると信じるようになった(ステップ2)
怒りの爆発が進むと怒り依存症とでも呼ぶべきものになります。
これは単なる大酒飲みがやがてアルコール依存症へと移行していくのと同じです。
いったん依存症になってしまえば、依存症は治らない病気ですから、一生涯治ることはありません。
ただし、回復は可能な病気ですから、回復することは十分に可能です。
「無力を認める」のと「自分を超えた大きな力を信じる」のはセットになっています。
どういうことかと申しますと、「あぁそうか。自分はホープレスなんだな。望みは神に頼ることしかないんだな」という理解がお腹にストンと落ちることです。
我が国では「神頼み」という言葉は否定的・消極的な意味で用いられます。
しかし諸外国ではそうではありません。
我が国の人々が神に頼ることを胡散臭(うさんくさ)く感じるのは、自分の無力を認めず「自分の力でなんとかなる」と高(たか)をくくっているからにほかなりません。
それこそ高をくくっていて何とかなるのであればそれで良いのですが、何ともならないなら無力を認めて自分を超えた大きな力を信じるのが賢い選択であるということになります。
3.神とともに生きる決心をする(ステップ3)
神の力が自分に及ぶために私たちの側でやることがあります。
これをやらないで「私は無力を認め、自分を超えた大きな力を信じます」と何百回告白しても、何の意味もありません。
自分の心の中に恨み・怒り・恐れ・罪悪感・後悔があると、神と繋がることができません。
神と繋がることができないと、私たちを回復させる神の力が私たちの心に流れ込むことができません。
これはちょうど接着剤で何かをくっつけようとするときに、接着面に小さなゴミがついていると、そのゴミが邪魔してくっつけることができないのと同じです。
「これぐらいどうでもいいだろう」と私たちは思いがちですが、12ステッププログラムに取り組んでいながら効果が現れないなら、ゴミが付着していないかどうかを確認する必要があります。
4.棚卸し作業を行う(ステップ4)
神とともに生きるのに邪魔になる恨み・怒り・恐れ・罪悪感・後悔などの感情は私たちの性格上の欠点から生み出されるものです。
ですから恨みなどの感情を持たないようにするためには性格上の欠点が取り除かれることが必要になります。
この文章をお読みになって「性格上の欠点なんか取り除くことができるのですか?」と疑問に思われたかもしれません。
その通りです。それは私たちにはできないことです。
しかし、神には何でもできるのです。
神さまになら私たちの性格上の欠点を取り除くことがおできになります。
そしてそのための方法も確立されていますので、正しく理解し実行するなら迷うことはありません。
その方法とは棚卸表を書くこと
自分が恨んでいること、恐れていること、性的振る舞いで迷惑を掛けたこと、その他に迷惑を掛けたことの4つの領域に分けて棚卸表を書きます。
初めに恨んだ人の名前だけを書き、次になぜ恨んだのかの理由だけを書きます。
その次には自分の感情(本能)のどの部分が傷ついたのかを明らかにします。
本能の種類には、共存本能の自尊心・対人関係、安全本能の物質面・感情面、性本能の公認された性関係・秘密の性関係、将来野心(自分の将来に向けての本能の充足を確保しようとする本能)の共存本能・安全本能・性本能があります。
次に、その件に関して自分のどの性格上の欠点が作用したのかを明らかにします。
性格上の欠点には、利己的・不正直・恐れ&身勝手・配慮の欠如があります。
これらの作業をあまり考え込まずにどちらかと言えば事務的にさっさと済ませます。
5.棚卸表を「もう一人の人」に見てもらう(ステップ5)
人々が自分の心に恨みなどの感情を植え付けたと、私たちは思い込んでいますが、実際はそうではありません。
私たちが勝手に恐れて、その結果相手を恨んだのに過ぎません。
しかし、この真実を受け入れるのは自分一人では出来ません。
どうしても「もう一人の人」に棚卸表を見てもらう必要があります。
このステップを踏むかどうかで、12ステッププログラムの効果がどのくらい上がるかが決まります。
6.古いやり口を捨てる(ステップ6)
ステップの4と5をやり終えると、その段階で自分自身の性格上の欠点から来る行動パターンを把握できています。
そうすると今度は、その行動パターンを手放し、新しい行動パターンを使っていく段階に進みます。
ありのパパの古いやり口(行動パターン)は「人への恐れが動機となって人々に不正直な対応をなし、その不正直な対応が原因となって人々との間にトラブルが起きた。そして自分の側に落ち度があるにもかかわらずトラブルが起きた人々を一報的に恨むという利己的きわまりない生き方」というものでした。
この古いやり口をこれからの人生で一切使わない決心をします。
これがステップの6でやることです。
7. 新しいやり口を使う(ステップ7)
ステップの7では、これからの人生で新しいやり口を実践する決心をし、その力が与えられるように神に求めます。
ありのパパにとっての新しいやり口とは「すべての人に敬意をもって接する」生き方です。
今までは「他人に傷つけられたらどうしよう」と自分のことばかりを心配する身勝手な生き方だったのです。
ところが自分の心配をする前に、まず相手の方に「敬意をもって接してもらった」と感じていただくためにはどうしたらよいかに全力投球している間は、恐れを感じないことに気づきました。
そして恐れを感じないと、不正直な対応に陥ることもなくなりました。
そういうわけで、自分の中から恐れと不正直を取り除きたいなら、すべての人に敬意をもって接することに全力投球すべきであることが分かったのでした。
8.傷つけた人に埋め合わせをする(ステップ8・9)
「すべての人に敬意をもって接する」生き方は埋め合わせという具体的な行動に現れなければなりません。
ステップの4で作った棚卸し表がそのまま埋め合わせ表になります。
埋め合わせのやり方は「埋め合わせをすることで更に相手を傷つける恐れがない場合」に、その機会が与えられた時、躊躇せず断固して行います。
「相手を傷つける恐れ」とは、たとえば浮気をしてその事実をパートナーに告げると、そのことによってさらに相手を傷つけてしまうことが考えられる場合です。
埋め合わせの作業は、信頼できる人と相談しながら慎重に実行することが大切です。
自分の中の罪悪感や「早く楽になりたい」という願いだけで突っ走ってはなりません。
なぜなら、その「早く楽になりたい」という願いは「自分だけ良ければそれでいい」という利己的きわまりない生き方の現れにほかならないからです。
注意すべき点は、埋め合わせの本質は「遺憾の意を表す」ことだということです。
もちろん、場合によっては謝罪や金銭的な賠償が伴うこともあります。
しかし、一度謝罪したら、そのあとは遺憾の意を表し続ける必要はありますが、二度と謝罪をする必要はありません。
なぜなら埋め合わせの目的は相手からの赦しを獲得することにあるのではなく、自分自身が遺憾の意を表すところにあるからです。
9.回復を維持し、更に成長していく(ステップ10〜12)
ステップの10から12までは、回復を維持し、さらに成長を目指すステップです。
成長と言っても、治るのではありません。
そうではなく、回復を深堀りする作業です。
依存症者にとっての回復は、回遊魚がずっと泳いでいないと酸素を吸うことが出来ないのと似ています。
①日々の棚卸し(ステップ10)
人生の大掃除は一度限りやるものです。
しかし、その後の生活で感情が動かされるたびに日々の棚卸しを行う必要があります。
そうしないと回復が、言葉だけの中身が伴わないものになってしまいます。
②毎日の祈りと黙想(ステップ11)
ステップの3で自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をしました。
ステップの3で神に委ねた[自分の意志と生き方]は、ステップの11で[神の意志]として戻ってきます。
祈りと黙想という水道管を通して、神の意志とそれを実行する力という命の水が流れ込んできます。
③他の苦しんでいる仲間に、12ステップメッセージを伝える(ステップ12の前半)
他の人々に自分の体験を話すことによって一番教えられるのは自分自身です。
また、いま苦しんでいる仲間の話を聴くことは、自分がかつてどのような状態にいたのかを忘れないために必須のことです。
私たちはすぐに良い気になってしまい、回復しただけなのに「治った」と勘違いしてしまいがちだからです。
④12ステップの原理を人生のすべての領域に適用する(ステップ12の後半)
無力を認めて、自分を超えた大きな力が自分の中に働いて、自分では出来なかったことをしてくださるという原理を他の領域にも適用しましょう。
これはどんな領域にも適用可能です。
例えば、禁煙、ダイエット、早寝早起き、節約などです。
10.無力とはどういうことか?
12ステッププログラムは完全を目指すのではなく成長を目指すプログラムです。
もし治ったとしたら、もはや私たちは無力ではありえません。
なぜなら治っているのですから。
しかし回復であるなら(治っているわけではないのだから)、いつでも再発(スリップ)の危険があるということになります。
そうすると回復してはいるが、回復を維持するための力が自分にないという意味では、私たちは無力のままということになります。
要するに無力とは、感情・情緒面でのシラフの生活を送るために神の力に頼り続けざるを得ない状態を指しているのです。
どうぞ、最寄りのEA(癇癪持ちを含む感情と情緒に問題を感じる人々の自助グループ)のミーティング会場にお越しください。
そこでは、ありのパパやサイレント・マイノリティさんと同様の問題を持つ人々が、どうやって回復を目指しているかという話を聴くことが出来ます。

◎平安と祝福を祈っています。