虐待や養育放棄をした親に対してどのように対処すべきかを考える読者からのご相談にお答えします。
これを読まれる皆さんも「この問題はどのように理解すべきか?」と考えつつ、お読みいただければ幸いです。
目次
1.ご相談内容
お久しぶりです。 nonoです。
あれから随分と時間が過ぎ、いろんなところを歩きまして、今日はまたご相談です。
12ステップを始めた時、やはり4がネックでした。
実際、紙を出して書き始めてみたのですが、とにかく自分を振り返って見るのが精神的にきついし、なんか素直になれなくて紙に書くことをやめて頭で何気なく振り返る程度で次に進んでしまいました。
でも、ぼんやりとしか認識してないので、祈りも具体的にはならず〔自分では気づいてなかったけど〕結局ぼんやりとしか回復せず、なんか曖昧な感じで、この日まで来ました。
私自身の信仰の歩みにも「その思考」をまだ解決をしていないが故に、苦しんで行き詰まりを感じていることにふと気付かされ、「どう考えても12ステップを真剣にやらなければ前に進めない!やり直してみよう!」と思うようになりました。
特に心の棚卸しは、徹底的にしようと思っています。
今日は恨みについて色々書いてみました。
なんか、結構スラスラ書けたようです。
でも後で読んで見ると・・。
両親のことを書いてないんです。
他のち〜さなことから大きなことまでは、あれもこれも!と書きました。
でも、どう考えてももう両親を恨んでないというか???
あえて書くことがないというか、恨んでないというか・・・。
解決済みのハンコを押したようなそんな気持ちでもいるんです。
*それはどういう風に考えたらいいのでしょうか?
*やはり書き出す必要はあるのでしょうか?
長くなりましたが、よろしくお願いいたします。
2.相談へのお答え
こんにちは、nonoさん。
ご相談を下さり、ありがとうございます。
「 それはどういう風に考えたらいいのでしょうか? 」と 「やはり書き出す必要はあるのでしょうか?」というのが、ご質問の中心であるようですので、それを中心にお答えさせていただきますね。
①棚卸しの目的は性格上の欠点を知るため
棚卸しをする目的は自己分析でもなければ、自分探しでもありません。
棚卸しの目的は自分自身の性格上の欠点は何であるかを知ることです。
もっと具体的にいうと、ある特定の状況である特定の条件が揃うといつもお定まりのように同じ行動パターンをとってしまう自分自身の行動のクセを知ることです。
その中にはnonoさんがおっしゃった「その思考」も含みます。
また、これは思考だけではなく、総体的な「私はこういう時、いつもこのような行動パターンをとる」というものです。
②目的さえ達成できれば、方法はどうでもいいか?
12ステップをやる人々の中で、ある人たちは棚卸しを表にせず、文章にする人もいます。
たしかに性格上の欠点が何か分かりさえすれば、棚卸しの目的は達成されます。
そのやり方で、ソブラエティを得、心の平安をさえ得ることができているならば、なんの問題もありせません。
しかしなかなか現実はそうなっていないようです。
12ステップがはっきりと「私たちは表にした」と書いてあるのですから、それに従うのが良いのではないでしょうか。
3.アダルトチルドレンが棚卸しをやるときの勘所(かんどころ)
①標準的な12ステッププログラムはなんと教えているか?
ACが養育者との関係を棚卸しするときは注意が必要です。
なぜならACは養育者から虐待ないし養育放棄を受けているからです。
中間施設と呼ばれるところで採用されている12ステッププログラムでは、虐待経験を棚卸しの対象にせず、虐待専門のカウンセラーにゆだねる方針をとっているようです。
棚卸しは言ってみれば「自分の悪いところは何か?」を知る作業です。
しかし、子供時代の虐待には責任がないどころか、被害者でさえあるわけです。
それで配慮なしに両親との関係を棚卸しの対象にすると、二次被害が発生する危険があります。
②ACが被害者であるのは養育者に対してだけであり、他の人々に対しては加害の面を持っている
あるACはこのように言いました。
「私は被害者だから自分の性格上の欠点を知るために棚卸しはしない」
これを聞いてありのパパは心の中で「では、あなたは何のために棚卸しをするのか?」と思いました。
少なくともありのパパから見る限り、この方が12ステッププログラムに取り組んでいる効果がはかばかしくないように見えるのは、それが理由だったのかもしれません。
棚卸し作業で他人をゆるすのは主目的ではなく、副次的な効果です。
(「副次的」とは言っても、これは欠かすことのできない12ステップが提供してくれるものの一つです)
③ありのパパはどうしたか?
ありのパパは父と母を棚卸しの対象にしました。
なぜでしょうか?
それは一度目の棚卸しをやったときは、「虐待経験は棚卸しの対象ではない」ということを知らなかったからです。
それにもかかわらず、やっただけの効果はありました。
それは、父からは「恐れ」を、母からは「不正直さ」を刷り込まれたのを気づけたことでした。
しかし、分かっただけで、人生は一ミリも変わりませんでした(笑)。
理由は棚卸表を「もう一人の人に見せる」というステップ5を踏まなかったことと、性格上の欠点を行動パターンとして見る視点が欠けていたからです。
「自分の恐れは父が犯人。自分の不正直は母が犯人。やれやれ」というのでは、何の意味もないどころか、やらないほうがマシというものです。
二度目の棚卸しのときには、その間違いの轍(てつ)を踏まず、両親は棚卸表の最後にやりました。
問題は、自分の恐れがどこから来ているかを知ることではありません。
問題は、その恐れが動機となって不正直な対応をし、不正直な対応が原因となって人々との間にトラブルが起きていたことを映画でも見るかのようにまざまざと気づくことです。
○そういうわけで棚卸しをやるときは、虐待ないし養育放棄をした養育者を棚卸しの対象から除外するのが良いでしょう。
◎回復と平安と祝福を祈っています。
お忙しいところ、ありがとうございました。
なるほど、そうなんですね・・・。
あれから、ありのパパさんが以前紹介されてた「子供を生きれば大人になれる」を購入して読みました。
涙なしには読めませんでした。
自分がかわいそうでした(笑)
そして、回復もなかなか一人では難しい取り組みなのだ・・・とも感じました。
準備が整いましたら、ぜひスカイプミーティングにも参加させていただきたいです。
きちんと回復の道を辿りたいです。
色々とありがとうございました。
助かりました。
こんにちは、nonoさん。
コメントをありがとうこざいます。
平安と祝福を祈っています。
またコメントしてください。お待ちしています。