頑固は恐れを隠すためにある(はじめての聖書)

[今日の聖書箇所](マルコ3章16,17節)
イエスはお弟子さんたちに愛称をおつけになられました。
今日はそこからお話します。

        

1.ペテロとヨハネの愛称の由来

イエスはシモンが頑固な性格であったことからペテロ(石)とニックネームをつけられました。
これは頑固者という愛称です。

また、すぐに怒り出す性格だったヤコブとヨハネには雷の子・ボアネルゲと名付けられました。

これは推測に過ぎませんが、来る日も来る日も敬愛するイエス様から「おい、頑固者!」とか「おい、雷野郎!」と呼ばれたら、どんな気持ちがするでしょうか?(笑)
どんな人であっても、少しは自分の性格を治そうとするものではないでしょうか?

        

2.ありのパパは癇癪持ち

ありのパパもイエス様に「おい、怒りん坊!」と来る日も来る日も呼ばれてみたかったです。

そうしたら依存症になる前に、自分の性格をどうにかしようとしたことでしょう(という自己憐憫と自己正当化(笑))。

しかし実際には「ありのパパさんは正義感が強いんだね」と見当はずれのことを言われ、愚かにもそれを真に受けてしまいました。

しかし今では、実は自分でもそのように思いたかったから、それを受け入れたのだと分かっています。

        

3.意志が強いのと頑固なのはちがう

意志が強いというのと、頑固というのは似ているようで実は全く異なるものです。

意志が強い人はどこまでも初志を貫徹しますが、頑固な人は途中までは周囲に対して非協調的なまでに自分の意志を通そうとしますが、途中でポキっと折れてしまいます。

ちょうどペテロが最後の最後でイエスを裏切ったように。

ペテロは一度目はイエスを裏切るという大失敗をしました。

もう大丈夫かと思えば、今度はイスラエル人の律法主義のキリスト者を恐れて外国人のキリスト者との交わりから離れるという失敗を犯しました。
そして、そのことをパウロに皆の面前で非難されました。

しかしこれ以降はペテロは失敗をしなかったようです。
伝承に過ぎませんが、のちに彼は逆(さか)さ磔(はりつけ)になって殉教の死を遂げたということです。

ヨハネさんはヨハネさんで、あれほどの怒りん坊だったにもかかわらず、後には皆から「愛の人」と呼ばれまでに変貌を遂げました。

4.頑固が生み出されるわけ

頑固とは心の中にある恐れを認めたくないがために無意識的に作り出されたものです。
要するに、頑固とは恐れという水が溢れ出さないように留める役割をするダムのようなものです。

それは必ず肝心要のところでポキっと折れてしまいます。
なぜなら、恐れを自分にも他人にも見えなくするために無意識に頑固という壁を作りますが、状況が悪化して恐れが頑固という名前のダムを超えるときが必ずやってくるからです。

5.私たちは皆、変わることができる

どなたであっても、どんな欠点を持っていたとしても、私たちは性格上の欠点を神に取り除いていただくことが出来ます。

よく「迫害にあったら、耐えきれず棄教してしまうのではないかと不安だ」とおっしゃるクリスチャンがおられます。

しかし、ありのパパに言わせれば、そんな心配をしている暇があったら、自分の性格上の欠点である恐れと不正直を神に取り除いていただくことを願い、「今日一日」に焦点を合わせ、今日一日だけ恐れを乗り越え、不正直な手を使わない決心をなさることです。

そうしたら、心の中にある恐れは少しずつ小さくなっていき、ついには心の中から取り去られるのです。
このような営みを生きることこそが、迫害への恐れに対する最大の防御となるのです。

◎平安と祝福を祈っています。

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