神を信じていても、恐れがなくならない本当の理由(はじめての聖書)

[今日の聖書箇所](出エジプト記4章)
神はモーセを、イスラエル人をエジプトから解放するための指導者に任じます。
しかし、モーセはいろいろな言い訳をしてなんとか神からの召命(コーリング)を拒(こば)もうとします。
しかし、神は忍耐をもってモーセが訴える問題に対する解決策を提示されます。

        

1.一般的な恐れと、病的な人への恐れは異なるもの

全能者である神が「わたしはあなたと一緒にいる」と言われているのに、それでもなおモーセは恐れています。
聖書を他人事として読んでいる分には「モーセさんって、臆病だな」と笑っておれます。
しかし、いざ自分のこととなると性懲(しょうこ)りもなく同じ失敗をしてしまうのが私たちではないでしょうか?

モーセの体験を他人事とせず、自分事として受け止めることが大切です。
そうしたら、なぜモーセさんが怖がったのか分かります。
モーセの心の奥底には「病的な人への恐れ」があったのではないかと、ありのパパは推測しています。

        

2.神は「病的な人への恐れ」をもっている人を選ばれる

なぜ神は恐れを持っていない人ではなく、恐れを持っているモーセを選ばれたのでしょうか?

ここが肝心なところです。

みなさんは、どのようにお考えになるでしょうか?
ありのパパは、自分自身の中に「人への恐れ」が強くありますから、このモーセの記事に深く共感します。

ありのパパの考えでは、病的な人への恐れがある人は他人の中にある恐れに対しても共感的に理解することができます。
神はその共感を大切にされるのではないかということです。

        

3.ありのままで、神の言われる通りにすれば心配いらない

この後の聖書記事を読むと、神は約束のとおり、語るべきこと、行動すべきことをすべて明確に指示しておられます。
ですから神に従っている限りにおいて、少しも心配はいらなかったのをよく理解することができます。

何千年経っても、神様は神様です。
このときと少しも変わらない神様が、モーセと同じように私たちを導いてくださるのです。
信仰と確信を持って、神に従い行こうではありませんか!

◎平安と祝福を祈っています。

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