愛と恐れは共存できません。
なぜなら愛は光であり、恐れは暗闇(くらやみ)だからです。
ではどうしたら、心の中から暗闇を追い出して、愛で満たすことができるでしょうか?
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えます。
1.まずいやり方
まずはじめに私たちが考えることは、自分の中から恐れを追い出そうとすることではないでしょうか?
しかし、このやり方はたいていはうまく行きません。
恐れを追い出そうとすると、いつまで経っても恐れに支配されたままの状態が続くことになります。
「おっかしいな〜。恐れを取り除こうとして努力しているし、神にも祈っているのだが」
ありのパパのツッコミ「自分で取り除けないし!それに『神にも』って何やねん!神様は付け足しか?」
結局のところ、このような努力は自分自身を消耗させるだけですので、よいことは何もありません。
2.うまいやり方
自分自身が相手にとって善き人になろうと全力を尽くしているとき、恐れは私たちの中に存在できません。
ですから、相手がいい人かどうかを心配する暇(ひま)があったら、まず自分自身が相手にとって善き人となれるように全力投球することです。
ありのパパはこのアイデアを神様から受け取りました。
とは言っても神掛かった啓示のようなものではありませんでした。
私は初対面の人に電話を掛けることが苦手であり、相手が出るまでの間に「電話に出る人が意地悪な人だったら嫌だな」と考えておびえていました。
しかし、あるときに「相手側だって『クレーマーみたいな人だったら嫌だな』と考えているかもしれないのだ。そうであるなら自分の恐れにイッパイイッパイになるのではなく、まずこちら側が相手にとって良い人になろうと全力投球すべきではないか?』という考えが浮かんだのでした。
そのようにし始めてから電話応対がうまく行き始め、電話を掛けることが苦痛でなくなりました。
そして驚くことに『自分がどのように扱われるか?』ではなく、『自分が相手にどのように対応するか?』に焦点を当てて行動しているときは、心が恐れに支配されることがないという事実でした。
3.恐れという敵をどのようにしてあぶり出すか?
恐れという怪物は私たちの心の隠れた部分に住み着いています。
要するに私たちは自分の中に恐れがあることを否認しているということです。
この否認を打ち破る方法は唯一つです。
それは棚卸しによってです。
棚卸しとは自分の人生の中で「恨んでいること」「恐れていること」「性的振る舞い」「その他の迷惑をかけたこと」を一つ一つ表にすることです。
表が出来上がったら、「もう一人の人」に見てもらいます。
この作業を行うことにより、私たちは自分自身の性格上の欠点がなんであるかに気づくようになります。
この性格上の欠点はおもに「利己的」「不正直」「恐れ」「配慮の欠如」の4つのどれかに当てはまるものです。
今日問題にしている「恐れ」は性格上の欠点の中の一つということになります。
これが明らかになっている段階では、恐れに対する否認は解けていますので、恐れが動機となった行動パターンを使わないという新しい生き方を実践することが可能になります。
◎平安と祝福を祈っています。