「アドラー心理学入門」(岸見一郎著)をご紹介する四回目です。
1.決定論に反対するアドラーの真意とは?
よく言われるようにアドラーは原因論に反対しましたが、どうやら真意は全否定ではなく、「影響を与える因子ではあるが、真の原因(決定因)ではない」ということが言いたかったようです。
「夜と霧」で有名なフランクルはトラウマについて「後々まで残る心的外傷という考えは、根拠薄弱である」と述べています。
しかし、このような考え方は現代の心理学の世界には受け入れられないでしょう。
ただし、「トラウマの影響で今の私がある。だから仕方ない」と考えているなら、それも間違いであると言わなければなりません。
なぜなら回復しようという意志があるなら、必ず回復することができるからです。
回復しないでいることは自分自身の怠慢であるということができます。
2.アドラーのトラウマ理解
心的外傷後ストレス障害のケース、あるいはアダルトチルドレンのケースに共通しているのは、強い抑うつ、不安、不眠、悪夢、恐怖、無力感、戦慄などの症状、あるいは極端な活動性は、過去の精神的、身体的な苦痛や、家族からの拒否や虐待といった外界の理由によって「心が傷つけられて」いるために起こると、現代では考えられています。
しかし、アドラーは「このように考えることは、人がいかなる場面においても選択しうるという可能性を認めず、人は外界からの刺激に反応する存在にすぎないと考えることである」と言います。
アドラーはいかなる経験もそれ自体は成功や失敗の原因にはなり得ない。
私たちは経験によって決定されるのではなく、経験に自分が与えた意味によって決定されるのだと述べています。
アドラーの致命的な誤りは、トラウマは本当はトラウマではなく、自分自身が出来ない理由としてトラウマを利用するのであると考えたところにあると、ありのパパは思います。
真実はそうではなく、トラウマはどこまで行ってもトラウマなのです。
なぜなら私たちアダルトチルドレンはトラウマだと気づいていない時点で既にトラウマの影響を受けて人生に不具合を感じていたからです。
これはトラウマを利用しているというアドラーの主張を真っ向から否定することです。
3.正しいトラウマ理解とは?
現在では疾病利得とか病床利得ということが言われています。
これは病気が治るよりも治らないほうが自分に利益があると考えるとき、人はしっかりと病気にしがみつくという考えです。
精神分析学では、トラウマとなっているものが明らかになるとトラウマから来ている不具合は解消されると考えます。
しかし、ありのパパは長期間にわたって精神分析を受け続けている人を知っていますが、少しも良くなる気配がありません。
これは確かにアドラーが言うように「自分が出来ない理由に、その出来事を採用したのです」と言えるかもしれません。
ではバランスの取れた適切な理解とは、どういうものでしょうか?
ありのパパは以下のように考えます。
「こうなってしまった原因は自分以外にあることをしっかりと認める。それはある場合には養育者である。
しかし、良くなる責任は養育者にはなく、本人にある。
そしてどのようなトラウマを抱えていたとしても回復することが可能である。」
◎このようなわけで、ありのパパはアドラーの心理学は回復には大変有益であり参考にさせていただきますが、トラウマ否定についてはシカトいたします(笑)。
平安と祝福を祈っています。