手放す力が自分にないのを認めることが、無力を認めることです。
1.「手放して、あとは神におまかせ」が効果がないとき
手放しても手放しても戻ってくる場合、確認が必要です。
それは手放してると思っているのは自分だけで、実は全然手放してない場合もあるからです。
「病的な支配欲求」について、ありのパパ自身がこのような経験をしました。
自分では「なぜ手放しても手放しも戻ってくるのか?」と訝(いぶか)しんでいました。
しかし、実際は口で「手放す」と言っているだけであるのに気づきました。
2.手放してもだめなときは無力を認めてみる
それで今度は「手放す」のではなく「無力を認める」ことにしました。
そうしたところ病的な支配欲求に振り回されなくなりました。
3.手放してもだめな理由
依存症における2つの問題は精神面での強迫観念と、肉体面での渇望現象です。
精神面での強迫観念がやってくると(これをある人は渇望の波とか、最初の一杯の狂気と呼びます)、私たちはひとたまりもありません。
この場合、「私は飲酒欲求を手放します」と何回叫んだどころでなんの効果もありません。
まとめると次のようになります。
手放すことが効果があるのは、その手放す対象が自分自身にとって嗜癖になっていない場合に限ります。
手放そうとする対象が、すでに自分の中で嗜癖(依存症)になっているならば、無力を認めることによって回復していくべきものということになります。
共同体の仲間が「ありのパパさんは自分自身に手放す能力がないことを認めたのですね」と、ありのパパの一連の体験を系統的にまとめてくださいました。
◎どうぞ、皆さんも自分が抱えている問題は、手放してなんとかなるものなのか、それとも無力を認めることによって問題解決を図るべきなのかを今一度お考えになられますように。
平安と祝福を祈っています。