置かれた場所で咲くことができる五つの理由

今日は「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子著)という書籍をご紹介します。

〇神が植えたところで咲きなさい。

これは奴隷のように横暴な人の言いなりになれと教えているわけではありません。
そうではなく、たとえばアダルトチルドレンに生まれたなら、それを呪うことをせず、アダルトチルドレンはアダルトチルドレンなりに生きるということです。

また、どうしても自分の人生に起きることを受け止めきれないときがあります。
そんなときは「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へとオロしましょう」と著者は語りかけます。

ご一緒に著者のメッセージに耳を傾けましょう。

        

1.人はどんな場所でも幸せを見つけることが出来る

「置かれた場所で咲きなさい」と言われて、果たして私たちはそんなに簡単に変わることが出来るでしょうか?
著者は明確に「私は変わりました」と答えます。

他人の出方で自分が幸せになったり不幸せになったりするのは環境の奴隷(他人への病的な依存)にほかなりません。

「そうだ、人間として生を受けてこの世に生まれてきたからには、たとえどんなところに置かれようとも、そのところで私は環境の主人となる(他者への依存から脱し、自律的存在となる)のだ。
そして私は私の生まれてきた証し、すなわち私の花を咲かすのだと決心することが出来たのでした」

        

2.委ねるとは丸投げすることではない

委ねるとは、結果に対して自分が責任を負うことです。
人に委ねるとき、うまくいったときは、その人の功績とするけれども、うまく行かなかったときは自分の責任とすることです。

神に委ねるときも同じです。
神に信頼し、丸投げでなく、自分自身のなすべきことを果たしつつ、その結果については、どんな結果であろうとも受け止めるのが、本当の神信仰です。

        

3.変えられないことを悩んでも仕方ない

変えられないことをくよくよ悩んではいけません。
では、どうすればよいかを考えつつ、歩んでいくのです。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみましょう。

        

4.人生にポッカリあいた穴から、これまで見えなかったものが見えてくる

心にポッカリ穴があいたときに、やることがあります。
それはポッカリとあいた穴から、人生を見るということです。
穴からしか見えないもの、それが人生の真実です。

信仰は穴を防ぐためにあるのではありません。
そうではなく、穴ができるまでは見えなかったものを「見る勇気」を与えてくれるものです。

著者は50歳の時にうつ病という病を得ました。
信仰をもってから30年、修道生活を送るようになってから20年がたとうとするときでした。

二人の医師の励ましが回復するきっかけを与えてくれました。
一人は「この病気は運命とは無関係です」
もう一人は「運命は冷たい。けれど摂理はあたたかい」

        

5.希望を持ち続けることの大切さ

希望の実現に、人間が勝手に期限を付けてはならない。
希望を失ったとき、人は命をも失ってしまうことがあります。
しかし叶わない希望もあるのが現実です。
だからこそ、大切なことは希望を持ち続けることなのです。

〇生きなければならない理由を持っている者は、ほとんどすべての困難に耐えることが出来る。

◎「大切なことは、インドのカルカッタに行くことではありません。そうではなく、あなたのまわりにあるカルカッタに気づき、そこのところで喜んで働くことです」(文中にあるマザー・テレサの言葉)
平安と祝福を祈っています。

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