一般的な承認欲求は健全なものです。
これは私たちがより良く生きていくために必要なものでもあります。
しかしながら、承認欲求が病的なほどに暴走すると、そうとばかりも言っておれなくなります。
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えます。
1.承認を求めすぎると行動が強迫的になる
強迫的行動が生活と人生を支配するようになると、喜びがなくなり、人生は色あせたものになります。
「ACの問題」の2番目には「私たちは承認を求める過程で、自分が誰か分からなくなった」とあります。
これは承認欲求が強迫観念になってしまったことを示しているのです。
要するにアルコール依存症における飲酒欲求(「最初の一杯の狂気」とか「精神面での強迫観念」と呼ばれるもの)と同様に、ある時までは「私は~しない」と考えているのに、ある時にふっと「これぐらいだったら良いだろ」という狂気じみた考えに支配されてしまうことです。
2.病的な承認欲求がなくならない理由
神は私たちに向かって「あなたはわたしの目には高価で尊い」と言われます。(聖書)
それで私たちは既に神によって承認されているのですから、実は承認を求めなければならない理由は何もないのです。
それにもかかわらず私たちの中にある病的な承認欲求は止まりません。
なぜでしょうか?
「私は神に承認されている」という理解が頭の理解にとどまっているからではありません。
真の理由は脳の報酬系という部位に「承認を強力に求める回路」がいったん出来てしまうと、その回路は私たちが生きている間はなくなることがないからです。
そうすると、どういうことになるでしょうか?
問題の核心はどうやって強迫観念の回路のスイッチを入れないで生きていけばよいのかということになります。
3.病的な承認欲求の具体的な統合のやり方
「~しない」という否定形の禁止命令で何とかしようとすると必ず失敗することになります。
そうならないためには「~しない」の代わりに「私は~する」という肯定形の新しい思考習慣を定着させることです。
意識的に「私は既に承認されている。それで私のなすことすべてを既に承認されていることへの感謝のささげものとする」ことです。
この統合作業を霊的目覚めなしにやるのは困難です。
ACには二つの敵があり、ひとつは性格上の欠点であり、もうひとつが13個の強迫観念です。
二つの敵を同時にやっつけるのは無理です。
性格上の欠点をやっつけてから、ACの13個の問題に取り組むのが賢いやり方です。
ですから、はじめから統合作業に取り組むのではなく、12ステップに取り組むことによって霊的目覚めを得ることを優先すべきです。
そして霊的目覚めを得た後に、霊的目覚めを回復のエンジンとして統合作業に取り組みます。
そうしたら必ずうまくいきます。

◎平安と祝福を祈っています。