聖書には霊的な事柄だけが書かれているわけではありません。
なんと夫婦関係についても書かれています。
そこで今日は皆さんとご一緒に、夫婦間の問題について聖書はなんと教えているかを見ていきます。
1.自分の妻を自分自身を愛するように愛する
「あなたがたは、それぞれ自分の妻を自分自身のように愛しなさい」[エペソ教会への手紙5章33節前半]
①自分と自分自身は自己一致していますか?
教会は伝統的に妻に対してだけ「妻は夫に従え」と教えてきました。
その理由はなんでしょうか?
はい、それは教会の教職者が男性ばかりであったからです(笑)。
冗談はさておき(冗談ではありませんが)、夫はどうしたら妻を自分自身を愛するように愛することができるでしょうか?
答えは明白です。
自分自身を愛することを身に付けることによってです。
②自己一致している分だけ、妻を愛することができる
カウンセリングをしていて良く聞くのが「こんなに妻の奴に良くしてやっているのに、まったく!」というセリフです。
それを聴きながらありのパパは内心「寝言は寝ているときに言ってほしい」と思うのです。
でもそのままを言うと首を絞められますから(笑)、ちがう言い方をします。
「いくら愛していてもテクニックがなければ相手には伝わりません。伝わるようにテクニックをみがきましょう」
テクニックをみがいているうちに本当の愛とは何かを知るという寸法です。
2.妻は自分の夫を敬う
「妻もまた自分の夫を敬いなさい」[エペソ教会への手紙5章33節後半]
①「自分には価値がある」と思えていますか?
奥さま方の中には「私は自分のことを価値があると思えません。それもこれも夫が私を大切に扱わないからです」と言われる方がいます。
このご発言は一見もっともに聞こえますが、実はそうではありません。
なぜなら「低い自己評価」という問題を抱えている方は、だれに大切に扱われても自分に価値があるとは思えないからです。
かえって大切に扱ってくれる人に「いつかは見捨てられてしまうのではないか?」と不安に思い、わざと冷たくしたり、あるいは過度に依存的になったりする場合があります。
②自分は高価で尊いと思えないのに、夫を敬うことができるはずがない
自分自身を愛している分だけしか他者を愛せないように、自分自身に価値があると思っている分しか他者を敬うことはできません。
皆さんはいかがでしょうか?
「自分には価値がある」と思えているでしょうか?
3.根本的な問題の解決
①自分が神に愛されていると気づかない限り、自分自身を愛することはできない
自分自身を愛するのも、自分には価値があると思えるのも、自分の力では不可能です。
ただ「神が私のことを愛していてくださり、『あなたは私の目に高価で尊い』と言われている」というところに根拠を置くときに可能になります。
②具体的方法-朝ごとの祈りと黙想
一日を始める前に必ず静まって祈る時間を持ちます。
時間の長さは関係ありません。
ありのパパは朝のストレッチの時間に「私は神に愛されている。神は私に『あなたは私の目に高価で尊い』と言われている」と繰り返し告白しています。
内心の声が「準備オッケー!」というまでやります。
③「今日一日だけ」の原則
この朝ごとの祈りを一日単位で続けます。
なぜなら翌朝になると再び不安や自信のなさが戻ってきているからです。
ですから一日ごとに自分の中にある不安・恐れ・悲しみを神にささげ、神から新しい喜び・確信・平安を受けとる必要があります。
◎平安と祝福を祈っています。