わたしは主。あなたを癒す者である。[出エジプト記15章26節]
1.私たちが信じる神は「いやしてくださる神」
自分を超えた大きな力、自分なりに理解した神は、ステップの2にあるとおり「私たちを健康な心に戻してくれる」神です。
自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになったということは、当然のこととして私たちが信じる神が「私たちを健康な心に戻そうとしておられる」ことを信じるということでもあります。
なぜなら「私たちを病気にしたり、呪いをかけたり、罰したりするような神」が「私たちを健康な心に戻してくれる」はずはないからです。
これは大変重要なことです。
なぜなら私たちが「自分を超えた大きな力」を信じていると言っても実際には「自分を呪う神」を信じていたのでは信じた結果としての回復が伴わないからです。
2.前提条件をどうやって満たせばよいのか?
神が私たちをいやしてくださると書かれてある聖書の言葉の前には、長ったらしい「~しなさい」とか「これができたら」とか色々な条件が付けられています。
この部分を読んで大概(たいがい)の人はうんざりします。
なぜなら、この命令を自分の力で実行しなければならないと考えるからです。
しかし注意深く聖書を読むと分かることですが、聖書のどこにも「自分の我力(がりき)でやれ」とは書かれていません。
ただ私たちが勝手に自分が受け取りたいように受け取っているのにすぎません。
3.神の恵みによって、神の力で実践する
「神様、私にはあなたの命令を実践する力がどこにもありません。どうぞ神の恵みによって、これらのご命令を実行できるようにしてください」と祈ればよいのです。
そうしたら、その祈りに答えて神が恵みによって「生きていく力」を与えてくださいます。
「でも完全に実行できません」という方もおられるでしょう。
聖書のどこにも「完全に実行しなさい」とは書かれてありません。
そうであるのになぜ独りよがりに「完全に実行しないと、わたしは神の恵みを受け取ることができない」と思い込んでしまうのでしょうか?
その原因は私たちの側の「完全主義」にあります。
完全主義こそは律法主義の本質であり、我力で回復や救いに到達しようとする生き方・考え方にほかなりません。
◎私たちが信じる神は「私たちをいやそうとしておられる神」であることを覚え、はばかることなく神からの回復をいただきたいものです。
平安と祝福を祈っています。