1.「完璧でないことを受け入れてしまってはならない」
時々、このような方がおられます。
「人は罪人なのだから、どうしたって罪深さや弱さから死ぬまで解放されることはない。だからあまり性格上の欠点を取り除くなどと言わないほうが良い」
このようなセリフを聞くと、ありのパパは内心血が逆流します(笑)。
「おいおい!12ステッププログラムを学ぼうとしていながら、もう片方では12ステップの核心部分を否定するのか。決してそのようなことをしてはならない」
私たちは死ぬまでそこに到達することはないかもしれませんが、成長を目指して歩み続ける必要があります。
2.完成と成長の違いは何か?
ありのパパが12ステッププログラムを中間施設で学び終えたとき、実は漠然とした失望感がありました。
それは12ステッププロラムを修得したら、自分が完成された存在になるのではないかという根拠のない期待をしていたからです。
そんな時、ジョー・マキューの著作にふれました。
そこには「12ステップは完成をめざすプログラムではなく、成長をめざすプログラムである」と書かれてありました。
それを読んだとき正直言って「なんだかな」と感じました(笑)。
しかしすぐに思いを新たにし「治らないのだから、成長をめざすしかないのは当然のことである」と考えるようになりました。
それからはすでに与えられていた『霊的目覚め』を回復のエンジンとして着実な回復の軌道に乗ることができました。
(霊的目覚めとは回復するのに十分な人格の変化です)
3.成長を目指す生き方とはどういう生き方か?
成長をめざす生き方とは「今日は昨日よりもどこかが成長している。明日は今日よりももっとどこかが成長している」という生き方です。
決して、ぼさ~っとした生き方ではありませんので注意が必要です(笑)。
①それは「今日一日だけ」生きる生き方
12ステッププログラムは24時間のプログラムであると言われます。
それはフォーカスを「今日一日だけ」にあてるからです。
これは聖書に「一日の苦労は一日にて足れり」(マタイの福音書06:34)と書かれてあることとも符合します。
②それは葛藤を乗り越える生き方
初めの頃は「この問題だけ何とかなれば良い」と考えているものです。
しかし光の中を歩んでいるうちに「あなたはこの問題を何とかしなければならない」という良心の声を聞くことになります。
そうすると葛藤が始まります。
本当は楽チンな人生を生きたいのに、そんなガチガチの人生なんか生きたくないという自己憐憫の思いです。
もしその葛藤をそのままにしておけば、良心の声はいつか止みます。
しかし成長も止まります。
そして回復も危ういものにならざるを得ません。
私たちが葛藤を乗り越えて、良心の声に従うなら、心の静けさはさらに増し、多くのことを成し遂げることができるようになります。
このような営みを「成長」を目指す生き方と言います。
③それは正直に生きる生き方
これはいつでも、誰にでも、自分の内に起きた変化をお伝えすることです。
もちろん状況を注意深く見極める必要があります。
決して語ってはならない人に、不用意にご自分の回復の体験を分かち合おうとしてはなりません。
ただ、そうではなく語っても良いときには、いつでも躊躇なくご自分の回復の体験を語るべきであるということです。
「自分の恥を人に話して、それのどこが楽しいのか?」と思われるかもしれません。
しかし世の中には悩んでいる方、問題を抱えている方が多くおられるのです。
そして私たちにはそれが誰か知ることができません。
ですから「へたな鉄砲も数打ちゃ当たる」ではありませんが、誰にでも語る必要があります。
このような生き方は「自分がどんな存在か」を自分自身に確認する作業にもなりますし、自分の話が人の助けになるのを目撃することは自分にとっても大きな慰め・励ましになるものです。
◎平安と祝福を祈っています。
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