生きるのが苦しい時は病的な支配欲求と共依存を手放してみる!

(2020/09/24記事更新)生きるのが辛い時は誰かに対して病的な支配欲求を発揮しているときか、誰かに対して病的な共依存関係に陥っている時です。
この記事はこの二つの取り扱い方について解説しています。

1.【手放して、あとは神におまかせ】は支配欲求と共依存を手放すことを意味している

親への恨みを手放す

回復人生を歩む上で最も大切な原則が「手放して、あとは神にお任せ」です。

なぜこれが大事かと言えば、手放さないと回復が阻害されるからです。
たとえば回復するためにミーティングに通っているにもかかわらず、気が付くと「あの人、どうにかならないかしら」などと思っていないでしょうか?

これはありのパパの現実でもあります。
メンバーの話を聴きながらお腹のなかで「12ステップの話をしろよ!」などと毒突くなどはしょっちゅうです。
それが黙想をしていると「自分は何のためにミーティングに通っているんだっけ?」と正気に戻るのです。

そしてその度(たび)ごとに「手放して、あとは神様にお任せ」と祈ります。
では何を手放すのでしょうか?

①支配欲求を手離す

なぜ私たちは他人に対して「ああなれ、こうなれ」と際限なく要求をするのでしょうか?
その理由の一つが支配欲求(コントロール欲求)です。

「俺の思ったように動け」「私の願うような人間になれ」

とても子供っぽいですね。
自分のことは棚に上げて、人様のことばかりに目がいっている状態です。
おとなになりたいなら、回復したいなら、成長したいなら、(この三つのものは実は同じことを指しています)この支配欲求を手放さなければなりません。

②共依存を手離す

母親に多いのが「あなたが回復してくれないと、お母さん困っちゃうの。だから回復してね」というものです。
子供からしたら「なんで俺の回復がてめえに関係があるんだよ。ふざけんな!」となります。
これを共依存と言います。

共依存の人々はいとも簡単に「私が変われば他人も変わる」とあり得ない妄想を信じこみます。
真実は「私が変わったとしても、人は変わらない」です。

「たとえ子供であっても夫であっても、自分以外の人を変えることはできない。変えられるのは自分だけ」という事実に気づき、「お先に行ってるね。あとはよろしく!」とばかりに共依存を手放して、自分の回復に専心することが大切です。

2.手離しても、無力はそのまま

支配欲求を手放しても、共依存を手放しても、自分の問題が依存症レベルになっているなら、その問題は生きている間は決して消失することはありません。

ですから原因を解決しようとせず、症状を回復させ続ける必要があります。
それが12ステップです。
12ステップは自分が無力であることを認め、自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じ、自分なりに理解した神に自分の意志と生き方を委ねる決心をするプログラムです。

ここからは、ありのパパの例をあげてお話しします。
ありのパパは癇癪持ち(怒り依存症)ですが、依存症になったのには様々な原因が考えられます。
その一つはやはり支配欲求でしょう。
「他人は自分の考えたように動くべき」という病的な支配欲求が怒りの爆発に繋がったと考えるのは合理的な解釈です。

しかし支配欲求を手放しても怒りの爆発は止まりません。
理由は脳の報酬系と呼ばれる部位に快楽を強力に求める回路がいったん出来てしまうと、その回路は生きている間は決してなくならないからです。
ただし、真の原因に気づくと強迫観念が教えるウソを見破ることができるようになりますので、スリップしにくくなります。

これは対象がアルコールであっても、買い物依存であっても、みな同じです。

3.生きるのが苦しいと感じるときは心の中を探ってみる

ありのパパも「心の中がなんだか重苦しいな」と感じるときがあります。
そんなときは大体心のなかで他人を握っているときです。
気づく度(たび)に、その握っている人を手放します。
そうすると正気に戻ることが出来ます。

他人を握っているのが原因で生きづらいのが良いのか、それとも他人を手放して心が平安に生きていくのが良いのか、お互いは自問自答(じもんじとう)したいものです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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5件のコメント

  1. ありのぱぱさん

    いつも興味深い記事を楽しみに読んでいます。
    昨日、クローズドミーティングで思い切って「ステップを行う中で神様が働いてくださるのを体験した」と話しました。
    話した後、宗教色濃く話してしまったな~と感じましたが、その後に続く発言がみんな前向きな内容が含まれていて、ビックリしました。
    毎回、ミーティングでも気づきが与えられ感謝です。

    さて、今日の記事で質問です。
    私はなんとか他人に振り回されないよう意識し、生きづらさから
    解放されていることを感じています。自分らしくというか、
    自分に正直に生きられるようになっていて感謝です。

    しかし、周りには明らかに間違った宗教に進んでいったり、後で残念な結果になりそうな選択をしている方々を目にするとき、何も言えないでいいのかな?って思います。
    もちろん相手の人生なので、私がどうにかできるかなんて思いません。(前は思っていました)

    相手との関係や相手の段階にもよると思いますが、ありのパパさんがそのような人たちに助言するとき、気を付けていることなどあれば教えていただきたいです。

    くま

    1. こんにちは、くまさん。
      コメントをありがとうございます。

      まず助言しようと思いません(笑)。
      EAのパンフレットには「私たちは家族的なこと個人的なことにアドバイスしないのである」と書かれてあります。
      共同体(自助グループ)はまず第一に自分自身の回復を目指す場所です。
      それ以外であってはなりません。

      カウンセリング視点から言っても、助言せず傾聴に徹するということは理に適っています。

      もちろんどんなことにも例外規定があります。
      赤ん坊が包丁を振り上げているのに「私は傾聴に徹します」と言う愚か者はいません。
      しかし他の人から見ると「これは放って置くべきケース」なのに、共依存性が強いと「これは赤ん坊が包丁を振り上げているケース」と事実を誤認してしまうことが多々あります。
      私たちお互いはACという名前の病人です。
      ですから状況を間違って解釈する危険性がないとは言えません。

      以上のことを勘案すると、結論として「黙ってみているのが一番良い」ということになります。
      共同体の文書は先行く仲間たちの経験と知恵によって書かれています。
      それに従うことによって共同体内のトラブルを避けることが出来ると考えます。

      よろしくお願いします。

  2. あ、すみません。共同体内の話ではなく、普段接している友だちやその家族に関してです。
    同じ対応でしょうか?

    1. こんばんは、くまさん。
      コメントをありがとうございます。

      マインドは同じですが、アクションは異なります。
      そして関係によっても、状況によっても、その都度対応を変えていく必要があります。
      問題の核心は自分の側に支配欲求や共依存がないか、もしくはあっても行動に影響していなければ、こちらの側の働きかけは相手に伝わるでしょう。
      うまくいくかどうかは別ですが。

      よろしくお願いします。

  3. ありがとうございます。
    マインドを大切にし、よくよく気を付けます。
    非常に接し方が難しいと感じます。
    ここで言うべきか、やめておくべきか。こう悩むといつも言わずに終わります。

    これにもトライ&エラーの法則を当てはめてみようかと思わされました。

    ありがとうございました!

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