(2020/08/17記事更新)12ステップに同じように取り組んでいるにもかかわらず、回復が遅々として進まないように見えるアダルトチルドレンもいます。
この記事はその理由を明らかにし、どんな人も回復できるための大切なことを解説しています。
目次
1.治ることを諦め、回復することを諦めない
ある人が「治るかどうか分からない」と言いました。
私は心の中で「治らねぇよ!」と思わず毒突いてしまいました(笑)。
依存症は治らない病気、しかし回復は可能な病気です。
だからこそ私たちは回復に専心する必要があります。
しかし私たちが治ることにこだわっている限り、回復が実現することはありません。
なぜなら依存症は治らない病気だからです。
人生を無駄にしたくないなら、人生のどこかでご自分が治ることを諦めなければなりません。
無力を認めるとは、そういうことです。
治ることを諦めた当座は「なんだかなぁ」と思われるかもしれませんが、すぐにも無力を認めたことからくる、神との新しい関係に胸をワクワクさせるようになります。
「こんなんだったら、もっと早く諦めとくんだった」と思うこと必定(ひつじょう)です。
2.今立っている所からスタートする
①二ステップではいけない
回復した姿ばかりを夢見て、現実の自分自身を見ようとしない人がおられます。
無力を認めたら、一足飛(いっそくと)びに回復が完成した自分を夢見ます。
これを12ステッププログラムの世界では「二ステップ」と自戒を込めて呼んでいます。
無力を認め、神になら自分を回復することができると信じ、自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をしたら、すぐに棚卸しに取りかかる必要があります。
なかには夢心地になって腰を下ろしてしまう方もおられるようです。
これはいけません。
ステップの3まで踏むと、確かにスリップは止みます。
しかしそれは執行猶予がついているのに過ぎません。
真の回復は4・5の棚卸しをやり、短所を神に取り除いてもらうステップの6・7までいく必要があります。
8・9の埋め合わせは出来るものはすぐにやる必要がありますが、その多くは生涯かけて続けていくべきものです。
10〜12も同様です。
②日常生活の改善
霊的目覚めを得ても、共同体から助けを得ても、やっぱりひとつずつ生活を改善していく必要があります。
早起きできなかったり、健康のための運動ができなかったり、片づけができなかったり、改善すべきものは色々あります。
12ステップに個人的に取り組むとともに、日常生活をコツコツと改善していく作業もまた大切なものです。
3.ありのままの自分を受け入れる
これは特にアダルトチルドレンにとって問題になります。
ある人は棚卸しが終わったとき「私なんか生きてないほうがいい」と感じました。
ありのパパは棚卸しが終わったとき、自分の性格上の欠点である行動パターンを発見できて「これで人生が変わらないはずはない。自分はなんてラッキーなんだ!」と興奮しました。
この両者の違いがどこから来るかを考えたとき、それはやはり自己受容しているかどうかの問題であると考えました。
「100点の自分でなければダメ」と言う古い親に出て行ってもらい、「30点の自分であってもOK」と言ってくれる新しい親を自分の心の中に迎え入れる親替えの作業がどうしても必要です。
4.今日一日に焦点を合わせる
遠大な計画に焦点を合わせてはなりません。
目標を達成しようとするときに、二通りのアプローチの仕方があります。
それは山登りタイプと波乗りタイプです。
山登りタイプは計画を立て必勝を期します。
それに対して波乗りタイプは計画うんぬんよりも、やって来たチャンスをつかむことに力を注ぎます。
さて、あなたはどちらのタイプでしょうか?
もちろん計画を立てることも大切なことです。
しかし依存症者やACにとっては「今日一日だけを生きる」というところから焦点がずれることは命取りになります。
5.感謝できることを見つけ、感謝する
私たちが人生を生きていく上で大切なことは「自分はひとりぼっちではない」ということを実感することです。
神が私たちと共におられます。
しかし、これも実感することがなければ、ただの絵に描いた餅(もち)です。
絵に描いた餅をいくらガン見してもお腹はふくれません。
しかし本当に神が私と共におられることを実感できたら、他の何者も絶対に壊すことの出来ない心の平安を得ることができます。
その方法は以外と簡単です。
それは一日の終わりに感謝できること五つを探しだして、神に感謝することです。
これを続けていると、目には見えない神が私の生活と人生を守り導いてくださっているのを体験的に知るようになります。
これは論より証拠の世界ですから、あなたが信仰者であってもなくても、どうぞ試してみることをお勧めします。
あなたは奇蹟を体験なさるでしょう。
◎回復と平安と祝福を祈っています。