(2020/08/17記事更新)「みんなと同じでいい」と言う人は心が病気です。
この記事は心が健康でない人が他の人が気になる理由を明らかにし、そこからの回復の方法を解説しています。
目次
1.心が健康でない人は他の人が気になって仕方ない
ありのパパは先頃、引っ越しをしたのですが、その際に引っ越し業者さんとのやり取りで大変興味深いことがありました。
引っ越し業者さんがありのパパに「これはどうしますか?」と聞かれます。
そうするとありのパパは反射的に「他の人はどうしていますか?」と聞き返してしまいます。
そのやり取りが二回続いたとき「これはおかしいぞ」と気づきました。
「心が健康な他の人々はこのようなとき、どのように振る舞っていますか?」というのが、ありのパパの心の中から発せられている質問であることが分かりました。
振り返ってみるとアダルトチルドレンであるありのパパはいつも横目で「他の人はどのように振る舞っているか?」を常に観察していました。
それを見て自分もそのように演じていました。
しかし引っ越し業者さんとのやり取りははじめての経験でしたので、自分の中に台詞(セリフ)がありませんでした。
それで反射的に先のような質問が出てきたというわけです。
2.他の人が気になる理由は自分の心が健康でないから
そもそも健康な人は「心が健康な他の人はどうしていますか?」という質問をいたしません。
なぜならご自分が健康だからです。
ただ心が健康でない人だけが「他の人はどうしていますか?」とお聞きになります。
それは不安だからです。
ありのパパは生涯を通してずっと心が健康な人になろうとしてきました。
しかし実際にやってきたことは、心が健康な人のように振る舞うことでしかありませんでした。
確かに情報を頭に詰め込んで、心が健康な人のように寸分たがわず演じることもある程度は可能でした。
しかしそこには平安がありませんでした。
常に心の中で「このような状況でどのように振る舞うのが心が健康な人であると言えるのか?」と問い掛けていますから、心に落ち着きがありません。
常にせわしないのです。
3.心が健康でないことを認め、回復を目指し、ありのままを受け入れる
①無力を認めるとは自分が健康ではないのを認めること
無力とは自分の心が健康ではないと認めることです。
そして自分の力ではどうしても健康な心に戻ることができないと認めます。
この二つを認めることを無力を認めると言います。
「いや、私の心は健康だけど、無力は認める」というのは偽善です。
なぜなら心が健康な人は無力を認める必要がないからです。
また「私の心は健康ではないけれど、無力は決して認めない。自分の力で何とかしてみせる」というのは不毛(ふもう)でしかありません。
このような方には期間を区切って自分で自分を何とかしようと死ぬ気で頑張ってみることをお勧めします。
しかしこのように言う人に限って健康になるための努力を少しもしていない場合がほとんどです。
②「治る」と「回復」は違うことを理解する
ステップの2には「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じる」とあります。
しかし、健康な心に戻るとは治るということではありません。
では何かというと、それは回復するということです。
治ることと回復の違いは治るとは病気そのものが消えてなくなってしまうことです。
回復とは病気自体は残っているが、症状が消えることです。
ですから回復の場合は決められた薬を飲まなかったり、生活習慣が乱れると症状がすぐにもぶり返します。
③ありのままの自分自身を受け入れる
多くの人が勘違いしていることがあります。
それは周りの人々が自分のありのままを受け入れてくれないので自分はこんなに苦しいのだという勘違いです。
しかし実際はそうではなく、ご自分が自分自身を受け入れていないので生きるのが苦しいのです。
受け入れていないどころか常に叱咤激励(しったげきれい)しています。
叱咤激励というと聞こえはいいのですが実際はいじめ抜いているのです。
「ここまでできたら私は合格。出来なかったら生きている資格はない。何で私はこんなことが完璧にできないのか?」と言っておられませんか?
【まとめ】
自分が健康な人に(無意識のうちに)なろうとしたために健康な振りを演じていたことに気づくことができれば、道は開(ひら)けます。
◎回復と平安と祝福を祈っています。