(2020/08/10記事更新)「自分は性的におかしいのではないか?」と悩んでいる方はおられませんか?
「ドロップ ザ ロック」の69頁には回復と性本能の関係について書かれてあります。
この記事は愛と性の関係について解説しています。
1.相手も自分も人格をもった存在
家族の写真を見たときに、私たちが感じることはなんでしょうか?
そこに写っている容姿もそうですが、なによりもその人の送ってきた人生であり、自分との関わりを思い起こすのではないでしょうか。
それに対してポルノ画像を見たときに感じるものは何でしょうか?
そうです。性的な刺激だけです。
ネットポルノに嗜癖(しへき)している時はすべての人に人格があるという事実を忘れている時です。
このことを見ただけでもセックスは本当に愛している人とだけ行うものであることが分かります。
「本当に愛する」とは相手の方と一生涯にわたって人格的関係を続けていくという覚悟です。
その覚悟の向こう側に当人同士の性的交渉があります。
〇一夫一婦制の本質は自分が愛している人とのみ性行為を行うところにあります。
2.愛よりも性が先にくるときに起きること
愛よりも性が先にくる場合はいったん性的関係を持つと相手に対して熱がさめます。
ことによれば、飽きたり、嫌悪したり、虐待したりするようになる場合もあります。
どんな場合でも性的欲求が先に来ることはありません。
人格的関係が先に来て、そのあとに性的欲求が続きます。
性的にだらしがないと「若いから仕方ないよね」などとついつい言ってしまいがちです。
しかし、若いからと言って性的欲求と愛を分離して良いわけではありません。
また反対に歳を取っているからといって、愛と性的欲求を切り離して良いわけでもありません。
勘違いをしてはなりません。
病的な見捨てられ不安を持っている女性の中には、性的関係をもつことが親しくなった証拠であると間違って思い込んでいる方がおられます。
しかし親密さがない状態で性的関係を持つと多くの場合に人格的関係は破綻します。
敬意をもって接していこうとするときに、相手を性的対象としてみることは不可能だからです。
3.アダルトチルドレンは性本能を抑圧しがち
棚卸し表をもう一人の人に見てもらうステップの5をやっているとき、性的問題で迷惑をかけた一覧表をお見せするときが一番緊張しました。
これの原因は普段の生活で性的なものを抑圧していることにあります。
これがクリスチャンならなおさらです。
抑制(コントロール)と抑圧はちがいます。
抑制は良いものですが、抑圧はいつかは爆発するものです。
また性本能を抑圧してはなりませんが、だからといって性的嗜癖を使ってよいわけではありません。
もし自分を騙して性的嗜癖を使い続けるなら、そのような人の人生は必ず破綻します。

◎回復と平安と祝福を祈っています。