普通の怒りと癇癪の違いは感情の爆発とコントロール可能かにある!

普通の怒りと病的な怒り

(2020/07/24記事更新)普通の怒りと癇癪持ちの怒りのちがいは何でしょうか?
それは感情の爆発かどうかという点と、怒りをコントロール可能かどうかという点です。
この記事は両者の違いを明らかにし、癇癪持ちの回復方法を解説しています。

        

1.感情の爆発という問題

心が健康な人が怒る場合は感情が爆発するということはまずありません。

それに対して癇癪持ちの人が怒ると感情が爆発するのは時間の問題です。

おもしろいことに癇癪持ちの人は他の人も怒るときには感情が爆発すると思い込んでいるのです。
誰あろう、そう思い込んでいたのはありのパパにほかなりません(笑)。

心が健康な人も、余りに腹がたつと(いわゆる「激おこ」)怒りが爆発することがあります。
それでも心の中で「ここで感情を爆発させてもいいかどうか?」を慎重に見極(みきわ)めているものです。

しかし癇癪持ちの人々は怒るのが早いか、感情が爆発するのが早いか、というぐらい怒りに必ず感情の爆発が伴います。
そして感情を爆発させてはならない場面に限って、感情を爆発させてしまいます。

2.大人の癇癪は怒ることに味をしめてしまった結果なのか?

ある意味ではその通りであると言えます。
利己的生き方のためにストレスがたまり、そのストレスを解消するためにある特定の方法を使い続けてきました。
これを嗜癖(しへき)と呼びます。

事態がそこで終わることはまずありません。
その嗜癖が依存症へと移行するのは時間の問題です。
事態は悪い方へ悪い方へと進んでいきます。
単なる悪習慣だったものが嗜癖となり、嗜癖はいつかは依存症へと変質します。

ある方は「私は利己的生き方などしていない」と思われるかもしれません。
しかし本音を隠し、建前だけで生きる生き方も利己的生き方の一種なのです。
なぜなら「本音を出すのは困難だ。建前だけで生きるほうがたやすい」という考えは利己的そのものの生き方だからです。

これは一見、分かりにくいことですが、心が健康な人はトラブルが起きた時、面倒くさいと思っても、その人のところまで行き、問題解決のために汗をかきます。
これに対して本音と建前を分離させて生きている人は、建前で「あの人はもともとそういう人だったのだ」とか「人間なんてそんなもんさ」などと訳のわかったようなことを言って自分を納得させる振りをします。

このような生き方は楽ちんな生き方ではあります。
なぜなら心が健康な人は問題解決のために汗を流しているというのに、自分は自分の心の中だけで帳尻を合わせていればよいのですから。
これを楽をしていると言わないでなんと言えばよいのでしょう。

しかしそのような人であっても本音のところでは怒りや恨みが渦巻いており、それらの感情に蓋ができなくなるときが必ずやってきます。
これが連続的な怒りの爆発の原因となります。

「癇癪は体質だ」という意見はどうか?

ある方は癇癪は体質であり、「食べても太らない」とか「 痩せの大食い体質」と同様なものであると言われます。

果たしてそうでしょうか?

ありのパパはそうではないと考えます。
なぜなら癇癪は怒りを爆発させることによって場をコントロールしようとした結果だからです。

体質であれば治るとか回復するとかを望むことはできません。
しかし依存症であれば、治ることはできませんが、回復は可能です。

        

3.癇癪持ちの回復の方法

まず第一に自分の癇癪が依存症であることを認めることです。
そして依存症からの回復に用いられている方法を採用することです。

解決策は二つあります。

ひとつは共同体から受ける助けであり支えです。

ここで言うところの共同体とは12ステッププログラムを用いて回復を図っていく依存症者の団体です。

EA Skypeミーティングのお誘い
怒りの爆発や感情のコントロールに問題をもつ人々のためのスカイプミーティングが始まりました。 時間は毎週月曜日の…

もうひとつは12ステップに取り組みさえするなら与えられると約束されている霊的目覚めです。

霊的目覚めとは回復するのに十分な人格の変化です。
十分な人格の変化とは、怒りを爆発させることが自分自身の体質であるという理解が単なる一人芝居でしかなかったことに気づくことをも含んでいます。

【まとめ】
「仕方ない。私は癇癪持ちだから」という言い訳からまぬがれて、誰でも怒りの問題から回復することが可能です。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

        

新しい記事を見逃したくない方はメール登録をどうぞ!

登録ボタンを押すと届くメールの【フォローを確認】をタップして登録完了です。

タイトルとURLをコピーしました