私たちが遭遇する人間関係のトラブルは実は自分自身の病的なコントロール欲求が原因である場合が多いのです。
この記事はどうしたら病的なコントロール欲求を手放すことができるかについて解説しています。
1.気にさわる誰かの存在
どこにも一人はかならずあなたの気持ちを逆撫(さかな)でする人がいるものです。
まるでその人の仕事はあなたの気持ちを悪くすることであるかのようです。
しかしちょっと待ってください。
カチンと来るたびに次のことを思い出してください。
①「私がこの人のために生きているのではないように、この人も私のために生きているのではない。みんな自分のために生きている」
人は案外思い込みをしているものです。
それは「人は自分の期待した通りに動いて当然である」というものです。
電車なら時刻通りに来るかもしれません(とくに我が国では)。
しかし他人を自分の思い通りに動かすことなどできるものではありません。
人はだれでも自分のために生きています。
それを自分の都合でその人の自分のために生きる権利を奪ったら、だれだって怒るのに決まっています。
この当たり前のことを肝に命じることです。
〇「他人は自分の思った通りに動いて当然」と考えることを利己的といいます。
②『この人は嫌な人だ』とあなたが感じる人はあなたに似ている人
自分で自分を嫌っている(裁いている)と、自分に似た人を嫌うようになります。
かつて、ありのパパは時間にルーズな自分を裁いていました。
それで同じように時間にルーズな人を見ると、怒りが込み上げてきたものでした。
しかし、このからくりに気づきましたので、そこから解放されました。
今は時間にルーズな人をみても怒りが引き出されることはありません。
③ちょっとした行き違い
ちょっとした行き違いで起きたささいなトラブルに怒りを爆発させる人がいます。
また親切で気を利かせたつもりでやったことが、相手の逆鱗(げきりん)に触れることがあります。
この原因は「他人は完璧に自分の事情を理解した上で何かをやるのが当然である」という間違った思い込みをもっているからです。
〇このように「他人は自分のことを完全に配慮してくれて当然である」という思い込みを配慮の欠如といいます。
2.躓いたときの対処法
①相手に問題があると考えるのを止める
相談があるというので話を聞くと、延々と相手の問題点ばかりをあげつらう方がおられます。
そういう私自身も、気が付くと「相手をどうやって変えてやろうか」と虎視眈々(こしたんたん)とねらっているときがあります。
しかし、本当に問題を解決したいと願っているのであれば、問題を他人のせいにするのを止めなければなりません。
相手を変えることはできません。
変えられるのは自分だけです。
②真の問題は自分にある
問題を解決しなければならないと私たちが考えるのは、そのまま放っておくと自分の心が苦しいのでなんとかしたいと思うからです。
しかし良く考えてみると、自分の心が苦しいのはまちがった思い込みをしているからであると分かります。
たとえば前出の「他人は自分の期待通りに動いて当たり前であり、そうならなかった場合は私は不機嫌になってもかまわない」などという思い込みです。
文章にすると、なんと幼児性むき出しの思い込みであろうかと思いますが、案外私たちはこのような思い込みを多くしているものです。
不機嫌になる原因が他人にではなく自分にあると分かったら解決は簡単です。
それはまちがった思い込みを解除すれば良いのです。
3.小さな気づきの積み重ねが人生の大きな転換につながる
① カチンと来るたびに、それは性格上の欠点を手放すチャンス
解決は簡単ですが、しかしこの思い込みは簡単にはなくなりません。
あなたがカチンと来るたびに「神が私のまちがった思い込みを教えてくださった」と受け止め、そのたびごとに「手放して、あとは神にお任せ」します。
②自分が変わったら相手も変わると考えるのは共依存に過ぎない
どうぞ、もうひとつの誤った思い込みをなさいませんように。
それは「自分が変わったら、相手も変わる」と思い込んで、自分を変えることに精を出すことです。
あなたが変わっても相手が変わることは未来永劫(えいごう)ありません。
あなたが変えることのできるのは、あなた自身だけです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。