(2020/07/10記事更新)キリスト者が何かを主張しようとするときに五つのチェック項目があります。
この記事は各々について解説しています。
1.聖書的か?
特定の教えを主張するとき、聖書全体の教えと整合性が取れているかを検証する必要があります。
「繁栄の神学」について聖書は何と言っているか?
旧約聖書においては、神を信じるなら豊かな祝福が与えられると明確に教えられています。
そしてその祝福の中には経済的繁栄が含まれています。
新約聖書においてはどうでしょうか?
主イエスを信じる信仰のゆえに迫害され、財産や生命を奪われることもあると教えています。
ありのパパが繁栄の神学の主唱(しゅしょう)者に聞いてみたいのは「イエスに従う決断をすると莫大な経済的損失を被(こうむ)るのが明らかなときでも、神に従うことを優先しますか?」ということです。
人間は弱い存在であり、年がら年中「繁栄!繁栄!」と聞かされていれば、だんだんと繁栄することを最優先するようになります。
「そんなことはない」と繁栄の神学の主唱者たちは言うかもしれません。
ではなぜ繁栄の神学を奉じる教会の牧師の多くが脱税の罪で起訴されているのでしょうか?
それは脱税の罪を犯してでも一円でも多くお金を自分の元に置いておきたかったからにほかなりません。
一世紀から三世紀にかけてのクリスチャンたちは主イエスを信じる信仰のゆえに極貧に甘んじました。
また一生の間、信仰のゆえに洞窟で暮らした人々も多数おられます。
聖書を全体として見ると「一生の間には、金回りがいいときも悪いときもある。それが人生である。じたばたしないことだ」というものではないでしょうか。
2.霊的か?
霊的という言葉ほど好き勝手に使われている言葉はないと感じます。
ここでいう霊的とは、自分の無力を認めて、自分以外の力を信じようとする心の態度をあらわしています。
このような意味で、霊的であることがすべての基礎です。
無力を認めていないことが原因となって、教会にも個人にも甚大な被害を及ぼします。
思考停止して洗脳状態になっているのが霊的なのではありません。
真の霊的とは自分の無力を認め、自分を超えた大きな力を信じることです。
3.建徳(けんとく)的か?
物事を分析するとき、人は正しい分析はひとつだと思い込みがちです。
しかし事実はそうではありません。
正しい、理にかなった分析は複数あります。
また、誰かを悪者にして徹底的にやっつけるやり方は人気があります。
いつかは自分の番が来るとも知らないで人々は溜飲(りゅういん)を下げます。
正しいだけでなく効果があり、効果があるだけでなく人々の心を建て上げていく方策は少ないです。
私たちがやろうとしていることは建徳的でしょうか?
4.論理的か?
カルト教会が一番嫌がるのが論理性です。
そのせいかどうか「理屈っぽくなると、御霊を消してしまう」などと詭弁を弄(ろう)するところもあるようです。
これに対してパウロは「ユダヤ人たちが信仰に熱心であることは認めるが彼らの熱心は知識に基づいていない」と喝破(かっぱ)しました。
5.実践的か?
「様子(ようす)を見ましょう」で終わるカウンセリングはダメだと言われます。
同様に説教を聞いて「良かった」と言うので、「どこが良かった?」と聞くと、一瞬絶句して「全部!」と答えたという笑い話があります。
これらの問題点はカウンセリングを受けた人や、説教を聞いた人が「では私はこれからどうすれば良いのか?」が明確には分かっていないという点です。
「とにかく頑張ろう!」とか「とにかくやればいいんだ!」とか言う人が時々いますが、全く意味不明です。
「『何を』頑張るのか?」「『どのように』やればいいのか?」かが明確化されない限り、私たちの人生は全然変わらないし、状況も良くなることはありません。
【まとめ】
ある人が行っていることが正しいか間違っているかを見抜くために五つのフィルターがあります。
聖書的・霊的・建徳的・論理的・実践的の五つです。
私たちお互いは時々は五つのチェック項目を使って振り返ってみたいものです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。