依存症の回復には嗜癖を使わない決心と人格を変え続ける両面がある!

(2020/06/29記事更新)「ドロップ ザ ロック」39頁には「立ち上がる」「始める」ことと「歩く」「続ける」ことの違いが書かれています。
この記事はそれぞれの言葉が指しているものを明らかにし、永続的な回復のための方法を解説しています。

1.立ち上がるとは嗜癖を使わない決心、歩くとは短所を取り除く営み

立ち上がるとは問題行動を止めることです。
歩くとは問題行動を止めた後の日常生活であり、人生を指しています。

アルコール依存症者が再飲酒をせず、性依存症者が性領域の嗜癖を繰り返すことをせず、怒り依存症者が癇癪(かんしゃく)を爆発させないことは、それだけでも素晴らしいことです。

しかし単に問題行動が止んでいるというところで止まっているなら、必ず問題行動の再発が待っているということになります。

問題行動を再発させないためには性格上の欠点を神に取り除いていただくことが絶対に必要です。

性格上の欠点が私たちをして依存症に陥るようにさせました。
これを放っておくと、性格上の欠点が強迫観念のスイッチを入れる引き金(トリガー)となります。
ですから、そうさせないために性格上の欠点・短所を神に取り除いていただくことが必要です。

立ち上がるとは問題行動に取り組むことであり、歩むとは性格上の欠点・短所を神に取り除いていただく日々の歩みを指しています。

2.始めるのは誰でもできる。続けるのは困難を伴う

始めるとは依存症者が共同体に参加することを指しています。
続けるとは文字通り、共同体に参加し続けることを意味しています。

初めて参加する大抵の方は依存症によってボロボロになりつつも、愛想笑いを浮かべているものです。
しかし12ステップに取り組むことによって依存が止んでくると、段々と愛想笑いがなくなってきます。

代わりに他の参加者を裁くようになります。
この「裁いている」という感覚があれば、まだ救いはあります。
しかし大抵は「私は会のことを思って、あの人のことを思って助言している」と思い込んでいます。
そしてギトギトの正義感を振り回します。
(もちろん、その正義感は支配欲求から出ています)

その結果、本人がそのミーティングから離れたり、その人との間にトラブルが起きた人が離れたりします。
なぜこんなことが起きるのかと言えば、始めることと続けることの違いをわきまえていないからです。
始めるのは誰でも出来ます。
しかし続けるのは至難(しなん)の業(わざ)です。

ではどんな点を気を付ければよいのでしょうか?

①自分自身の回復に焦点を当て続ける

すべての人は自分が回復するために自助グループに参加します。
しかし時が経つと人のことが気になり出します。
これが命取りになります。

「しらふ」を保つために共同体に参加したのにもかかわらず、口を開けば「サービスがどうの」「共同体の一致がどうの」という言葉がでてくるようになります。
このこと自体は大切なことですが、自分のソブラエティー(しらふ)を維持する以上に大切なことはありません。

AAの創設者であるビル・Wが述べたように「一人の依存症者が回復し、その回復をいまだ苦しんでいる依存症者に伝えていくという、きわめて単純な構造をもっている」のが共同体です。
自分自身の回復から焦点をずらすことは、このきわめて単純な構造を崩(くず)してしまうことになります。

②支配欲求をある程度手放す

共依存(きょういそん)から支配欲求が出ている場合もありますし、恨みから支配欲求が出ている場合もあります。
ある場合には万能感から支配欲求が出ていることもあります。
これは人それぞれです。

しかし、どんな場合でも度の過ぎた支配欲求は有害な影響を共同体と他のメンバーに与えます。

アダルトチルドレンにとっては病的な支配欲求が嗜癖となって現れている場合もあります。

「ある程度」と書いたのは支配欲求を無くすことなど出来ないからです。
私たちに可能なのは支配欲求のスイッチを入れないことだけです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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