初代のキリスト教徒が持っていた救いの確信を私たちも取り戻そう!

(2020/06/19記事更新)聖書が教える本来的なキリスト教と現代のキリスト教との間には致命的な差異があります。
この記事は初代のキリスト教徒が持っていた救いの確信を私たちが持つためにはどうしたら良いかを解説しています。

        

1.天国を待ち望むのは現実逃避ではない

「確かに肉体を持ってこの世に生きている間は、いろいろな悩みや苦しみがある」〔コリント教会への手紙第二5章4節〕(現代訳聖書)

信仰を持てば一切の悩みがなくなると、聖書は言っていません。
聖書は「確かに肉体を持ってこの世に生きている間は、いろいろな悩みや苦しみがある」と述べています。

このことは私たちにとって大きな慰めです。
問題があるからこそ嘆きも涙もない天国を待ち望むのです。
この「待ち望む」という生き方が、現実の問題に対して忍耐する力を私たちに与えます。

天から与えられた新しい体とは『もう二度と死なない体』であり、復活の時に与えられる『霊的体』を指しています。
この新しい体が与えられるのは、神の恵みによるのであり、その保証として神は私たちに御霊をくださいました。

御霊は聖書の他の箇所では『聖霊』とか『助け主』と呼ばれています。

        

2.御霊の内住は知ることができる

ある人々は「御霊が与えられていても、それを感じたり、知ることはできない。ただ信仰によって『与えられている』と信じるだけだ」と教えます。

しかし、このような教えは聖書に書かれてあることと明らかに矛盾しています。
なぜなら聖書には「保証として御霊が私たちに与えられた」と書かれてあるからです。
与えられていることを知ることができなければ、どうしてそれが保証になるでしょうか?

知ることができるのでなければ決して保証にはなりません。
保証が与えられていると知ることができない保証など空手形(からてがた)に過ぎません。

聖書の正しい理解とは「御霊が与えられていることを私たちは知ることができる」という理解です。

        

3.御霊の証(あかし)は神からの受容体験を提供する

①御霊の証とは何か?

多くのキリスト者は自分が神と繋(つな)がっているとは感じていません。
繋がっているどころか、切り離されていると感じています。
これが現代キリスト教の大きな問題のひとつです。

この問題の解決は救いの確信が神に与えられることによります。
これは『救いの確信』とか『御霊の証』と呼ばれているものです。

②神が与えてくださる受容体験

救いの確信が心に与えられると、人は自分が神に受け入れられているのを体験的に知るようになります。

ありのパパは18歳の時に御霊の証を頂いて以来、自分が神に受け入れられているということを疑ったことがただの一度もありません。
どんなに罪深く、誘惑に負けやすい自分であっても、変わらずに神に受け入れられているという実感です。

自分が神に愛され、神は私の味方であり、神が私を守っていてくださるという感覚に満たされているのです。
これはアダルトチルドレンであるありのパパの回復にとってどれだけ大きな助けになったか分かりません。

③救いの確信が与えられる方法

救いの確信の教理を明確に教えたのはメソジスト教会創設者のジョン・ウェスレーです。
この説教をしたことで彼はたいへん大きな反対の渦に巻き込まれましたが、同時に真に生まれ変わった多くのキリスト者を生み出しました。

ウェスレーは「与えられるまで瞬間瞬間求め続けよ」と言いました。
ありのパパも少年時代に与えられるまで求め続けました。
そうしたところ祈り始めてから3〜4ヶ月で与えられました。
それ以来、ただの一度も救いの確信がなくなることはありませんでした。

求め続けるなら『御霊のあかし』は与えられることができます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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