(2020/06/19記事更新)共依存の罠は「自分が変われば相手も変わる」と信じ込んでしまうことです。
この記事はその考えがいかに誤りであるかを明らかにし、正しい解決は相手を手放して自身の回復に専心することであるのを解説しています。
1.自分が変われば相手も変わるか?
「家族を変えるにはまず自分が変わらなければならない」と考えるのは一見(いっけん)殊勝(しゅしょう)な心がけです。
一見と書いたのは、このように考える原因には病的な支配欲求とかコントロール欲求がある場合が多いためです。
この場合の支配欲求は共依存(きょういそん)から出ています。
共依存とは「あなたが治ってくれないと、お母さん困っちゃうんだからね!」と言う言葉の中にはっきりと現れています。
「確かに自分の子供が病気のままであるのは親としては心苦しい。しかしそれと自分の人生をしっかりと生きるのは全然別の話である」と考えるのが健康な心の持ち主です。
問題の核心である共依存を棚に上げて「よし、私が変われば家族が変わるのね。がんばるわ!」といくら力(りき)んだところで問題は少しも解決しません。
もし本当に問題を解決しようとするなら、問題の原因にしっかりと焦点を当てることです。
本当は自分さえ変えることはできないのです。
ではなぜ「変えられるのは自分だけ」とありのパパは書いたのでしょうか?
「自分を変えることもできないのに、他人を変えようとするなどおこがましい」と書くべきだったのでしょうか?
そうではありません。
自分の力で自分を変えることはできませんが、自分以外の自分を超えた大きな力なら、私を変えることが可能なのです。
それゆえに「変えられるのは自分だけ」という言葉になるわけです。
2.他者が変わることを期待するのは正しいことか?
ここでひとつ疑問がわきます。
それは「神様なら他人も変えられるのではないか?」という疑問です。
しかしそうなるためには一つ障害があります。
それは神を信じるという行為は、変わりたいと願う人自身がしなければならないということです。
他の人がその人の代わりに神を信じてあげるなどということはできません。
馬を水飲み場に連れて行くことは可能でも、その馬に水を飲ませることはできません。
馬が水を飲みたいと欲し、水を飲むという行為を自ら実践する必要があります。
良くなりたいと願い、そしてそのために自分の無力を認め、自分を超えた大きな力を信じるようになるのは誰なのか、私たちは知ることができません。
そのようなわけで私たちには人を変えることはできないのです。
3.原因探しよりも、まず自分自身の回復を目指す
もし家族の中に依存症の者がいる場合、原因はどこにあると考えるべきでしょうか?
(今ここでお話ししていることは、あくまでも一般的なことです。どうぞ短絡的にご自分の問題と結びつけることをなさいませんように)
その依存症者が成人に達しているなら、彼・彼女らが依存症になったのは彼ら自身の責任です。
他の誰の責任でもありません。
そして何より大切なことは回復していく責任が本人自身にあるということです。
「子供を依存症から救うには、まず私が変わらなくちゃ」と考えることがいかに的外れであるかを分かっていただけたでしょうか。
正しい理解は「私は子供が回復することを心から願っている。しかしそれでもなお私の人生と子供の人生は別である。たとえ万が一、子供が回復しなかったとしても、私は私の人生を生きる」と考えるようになることこそ、お子さんの回復にとって親が出来る最善のことです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。