(2020/06/15記事更新)ACの問題の2番目には「私たちは自分が何者か分からず、他からの承認を病的に求めることを嗜癖として使う」とあります。
この記事は病的な承認欲求を持つようになった原因とそこからの回復方法を解説しています。
1.健全な家庭環境で育つと健全な承認欲求を持てるようになる
健全な家庭環境で育つとは「あなたはありのままでいいんだよ」と言われて育つことです。
もちろん完全な受容体験はこの地上にはありません。
なぜなら受容しようとする側(両親)も不完全な人間ですから、完璧に受容することなどはできることではありません。
また受容される側(子供)も不完全な存在であり、受容されているにもかかわらず誤解して受け取るということがあります。
たとえば母親がアルコール依存症で、自分は愛されずに育ったと思い込んでいる人がいたとします。
しかし、ご自分の生育歴をたどる中で母親が依存症のためにフラフラになりながらも自分の食事を作ってくれたことを思い出しました。
そうすると、その方は「自分は愛されていないと思っていたが、そうではなかった。母は病気であったにもかかわらず、懸命に自分を育ててくれたのだ。ありがたい」という感慨(かんがい)に導かれました。
2.虐待家庭や養育放棄家庭で育ったことが病的な承認欲求を持つようになった原因
次のようなケースが往々にしてあります。
自分は愛されて育てられたと思い込んでいたが、そうではなかった。
叩(たた)かれたのは自分が悪さをしたからだと思っていたが、実は両親によって虐待されていたのに過ぎなかった。
それを両親はお為(ため)ごかしに「お前のためを思って、折檻(せっかん)しているのだ」とごまかしていた。
このようなケースでは明らかに法律に触れる行為すなわち虐待である場合もあります。
このような家庭で育つと、受容体験を全く味わったことがないまま子供時代を終えることになります。
①受容体験を持たないまま大人になるとどうなるか?
その人は大人になってからも無意識のうちに承認されることを追い求めるようになります。
承認を追い求める行為自体は悪いことではありません。
ただ、度が過ぎると人生に悪影響を及ぼします。
②アダルトチルドレンがキリスト者になるとどうなりがちか?
アダルトチルドレンがクリスチャンになると、熱心な信仰者となり、模範的な教会員として生きていくようになります。
これの真の原因はその人のうちにある承認欲求です。
しかし遅かれ早かれ行き詰まります。
なぜなら承認は人から与えられるものではなく、神から与えられるものだからです。
「こんなにやっているのに、誰も認めてくれない。きぃ~!」
3.本物の承認を神からもらい、その承認を今度は自分自身に与える
本物の承認を与えてることができる存在は神以外にありません。
ただ神だけが私たちに「そのままでいい」と承認を与えることができます。
「神が私を承認していてくださる」というところに止まっていてなりません。
なぜならそれだけでは不十分だからです。
次の段階に進む必要があります。
それは私が私自身に与える承認です。
「神は私を見捨てないし、見放さない。だから私も私自身を見捨てないし、決してあきらめない」
これをコツコツと毎日の祈りと黙想の時間ごとにやっていきます。
そうすると必ず他人からの承認に頼らない自分になっているのを気づくときがやってきます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。