(2020/06/05記事更新)人間関係が不得意なアダルトチルドレンが関係を破綻させない秘訣があります。
この記事はそれは役割を果たすだけの人間関係からありのままの関係を大切にすることであるのを明らかにし、その方法を解説しています。
1.ありのままの関係と役割関係
人間関係において役割を持ち込むとはどういうことでしょうか?
本来人間関係とは対等な関係でのみ成立するものです。
それを「私、奉仕する人」「あなたは奉仕される人」という役割分担は決してうまくいきません。
うまくないどこか、そのようなことをしている限り本物の人間関係は育ちません。
もちろん役割分担を伴わない人間関係は存在しません。
たとえば家庭における夫と妻の関係、親と子供の関係がそれに当たります。
ただ「役割だけの人間関係はいつかは破綻します」ということを申し上げたいのです。
2.アダルトチルドレンはありのままの人間関係を持つのが不得意
私たちアダルトチルドレンは役割を果たすことは難なくできるので、つい役割にのめり込んでしまいがちです。
しかしそうこうしているうちに、はっと気づくと周囲の人々は豊かな人間関係を作り上げているのです。
そして自分だけ周囲の人々と関係を作ることができていないことに気づいて愕然(がくぜん)とします。
①ありのままの人間関係とは何か?
ありのままの人間関係の最大の特徴は「そのままでいい」という雰囲気に満たされていることです。
これに比べて役割を果たすことで維持されている人間関係は「言わなきゃ、わからないじゃないか!」というものです。
さて、あなた様がもっておられる人間関係はどちらの関係が多いでしょうか?
私たちお互いはかえりみたいものです。
②抑圧された被害者意識が支配欲求を引き出す
ACの問題行動の5番目には「私たちは自分の人生を被害者の視点で生きることを嗜癖として使う」とあります。
被害者の視点で自分の人生を生きるとは、どのような意味でしょうか?
それは「私は子供のとき被害者だった。大人になった今は決して再び被害者になってたまるか!」と無意識の領域で考えていることです。
被害者の視点で生きていると、自分が傷つかないように他の人々を自分の思い通りに動かそうとします。
これを病的な支配欲求あるいはコントロール欲求と言います。
このようなわけでアダルトチルドレンの病的な支配欲求は被害者意識に支えられているということが言えます。
別の言葉で言えば「被害者意識によって自らの支配欲求を正当化している」ということもできます。
もちろんこれは無意識の領域で行われていることであり、当事者であるACに悪気(わるぎ)はありません。
しかし悪気がないからこそ、たちが悪いということも言えるわけです。

3.アダルトチルドレンが被害者の視点で生きる人生に別れを告げるには?
①無力を認める
アダルトチルドレンは被害者の視点で生きることや病的な支配欲求を嗜癖として使っています。
言葉を替えて言うとアダルトチルドレンは依存症者だということです。
ですから被害者意識や支配欲求のスイッチが入りそうになったら、即座に無力を認め、神に助けを求めます。
②役割を人間関係で使うのを止める
これは役割を放棄せよということではありません。
ここで言わんとしていることは、人間関係には役割分担とありのままの人間関係の両面があり、ふたつとも大切なものであり、片方がもう片方の代わりをすることはできないということです。
また「自分は役割を果たしているから、人間関係に問題はない」と考えるのを止めることです。
③救助者の役割を放棄する
もう一つのアダルトチルドレンの陥りやすい落とし穴は人間関係において救助者の役割を果たしてしまうことです。
医療や介護の従事者や教会関係者が勤務時間中に救助者の役割を果たすことは何の問題もありません。
ただ仕事が終わってもなお救助者のマインドをチェンジできていないとしたら、それは問題です。
我が国には四六時中救助者マインドで生きることを当然視する風潮があります。
「人の期待に応えたい」という思いを嗜癖として使っていると、この落とし穴にはまってしまう危険があります。
私たちが救助者の役割を背負い続けて生きるとき、私たちの人生は必ず破綻します。
なぜなら人は救助者の役割を果たしているだけではいつかは病気になってしまうからです。
病気にならなくても心は空虚感で満たされてしまうでしょう。
「私の人生、何だったんだ」というわけです。
しかし誰もこんな人生を送るように頼んだわけでもないし、ご自分が好き好んでそのような人生を生きたかったわけでもありません。
そうならないための唯一の道は「救助者の役割を降りる」ということです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。