『共依存(きょういぞん)』という言葉をご存知ですか?
この記事は共依存と病的な支配欲求の関係を明らかにし、そこから回復していくための方法を解説しています。
1. 共依存とは何か?
共依存とは一言で言うと「私はあなたの言いなりになるから、あなたも私の思い通りに生きてね」という考え方であり、生き方です。
ありのパパは養育放棄の家庭に育ちましたので、 共依存の人々を見ると「ありがたい」という思いを持ちます。
なぜかというと 共依存の人はかいがいしく奉仕に動いてくれますし、痒(かゆ)いところに手が届く勘の良さがあります。
しかしご本人たちは共依存であることに悩み苦しんでおられます。
なぜならそのことによって自分の子供たちを無意識にコントロール・支配するために、子供たちが何らかの依存症に陥ってしまったからです。
(依存症にならなくても、その他の社会的不適合の状態に陥っている場合もあります)
子供たちが依存症になり、「私が何とかしなければ」「私が救ってあげる」ということで依存症家族会に参加します。
しかしそこで子供たちが依存症になったのは親の共依存も原因のひとつであると教えられます。
青天(せいてん)の霹靂(へきれき)とはまさにこのことです。
2.共依存とコントロール欲求
共依存の背後にあるのは病的なコントロール欲求です。
コントロール欲求とは支配欲求ということです。
なぜかいがいしく尽くすのかと言えば、それは自分の願った通りになってほしいからです。
始末が悪いのは、この感情は心の奥深いところに隠されており、本人も気づかないで行動していることです。
子供たちの回復を応援する営(いとな)みの中に、親御さんの共依存感情が見え隠れしていることがあります。
「依存症から回復したらOK、しなかったらnot OK」というわけです。
このメッセージを子供たちが受けとると「回復なんかしてやるもんか!」となります。
なぜなら自分が回復することは自分が依然として親の奴隷であることを認めるのに等しいからです。
このからくりが分からないと、親御さんは「こんなに一生懸命尽くしているのに、なぜあなたは回復してくれないのか?」と途方にくれることになります。
3. 共依存への対処の仕方
① 共依存は12ステップによって回復可能
共依存症は人を病的にコントロールすることを嗜癖として使う依存症です。
それが依存症であるならば何であっても12ステップに取り組むことによって回復可能です。
もちろん依存症ですから治ることはなく、あるのは回復です。
人を病的にコントロールしようとする強迫観念がなくなることはありませんが、強迫観念のスイッチを入れないで生きていくことが可能になります。
ちがい | 「治る」とする考え | 回復 |
---|---|---|
依存症回路 | 消失する | 死ぬまでなくならない |
再発可能性 | ない | いつでもあり |
12ステップに取り組むとは具体的にはミーティングに参加して共同体から助けと支えを受けること、霊的に目覚めることの二つを指しています。
②具体的やり方
共依存症を始めとした依存症は治ることはありません。
あるのは回復です。
回復というと聞こえはいいですが、実際は今日一日の執行猶予を与えられているのに過ぎません。
今日一日、コントロール欲求を『手放して、あとは神にお任せ』します。
これを一日一日繰り返します。
朝起きたら、膝(ひざ)をかがめて神に祈ります。
日常生活のなかで「あっ、 共依存のスイッチが入りそうだ」と感じたら、すみやかにその場から立ち去ります。
誘惑を味わってはなりません。
はじめの一杯を拒絶する力は神から与えられていても、二杯目を飲まないでいる力は与えられていないことを肝(きも)に命じる必要があります。
③共依存はないが、支配欲求はある人々へ
程度の差はあっても誰にでも「私の思った通りに動いてくれれば、あなたはOK、しかし私を失望させるなら、あなたはnot OK」という気持ちはあるものです。
しかしこれが人間関係を壊す最大のものであることを知らない人が多いのではないでしょうか?
ありのパパは支配欲求のスイッチが入りそうになると「私がこの人のために生きているのではないように、この人もまた私のために生きているのではない」と自分に言い聞かせます。
そして『手放して、あとは神様にお任せ』します。

◎回復と平安と祝福を祈っています。