(2020/05/13記事更新)回復とはただ単に問題行動(嗜癖)が止まることでしょうか?そうではありません。
回復と成長は無限に続きます。
この記事は「ドロップ ザ ロック」の38頁に書かれてあることから解説しています。
1.酒・薬物などの問題行動が止む【外面の変化】
まず問題行動が止んでいなければお話になりません。
アルコール依存症者は飲酒が、薬物依存症者は薬物が、癇癪持ちは怒りの爆発が止むことです。
回復はここからがスタートです。
ここからがスタートですが、もしここで留まっているなら大変もったいないことです。
旧約聖書のヨシュア記に、ヨルダン川を渡ったイスラエル人が、ややもすると川を渡ったということに満足しがちであったことが記されています。
しかし神はそのような民に「あなたがたの征服すべき地はなお多い」と言われました。
クリスチャンにとっては「信じた」ということは「川を渡った」ということです。
もし信じたことに満足してしまい、さらに前進しようとしないなら、人生の終わりに「征服できないまま残された地が多い」と悔やみながら死ぬことになります。
2.【内面の変化】
①心が満たされる
心が満たされるとはどのような状態を指しているのでしょうか?
心が満たされるとは、心に欠けを感じない状態であると言えます。
こころに欠けを感じないとは「このままでいい。ありのままの自分を生きていいのだ」と心から納得することです。
②役に立つ人間になる
『今日この日』の中に「自分を他人と比較せず、自分自身を受け入れ、自分の能力を十分に活用して生きていきます」とあります。
役に立つ人間になる最大の条件は何だと思われますか?
それは自分のために生きるのではなく、人の役に立つために生きていきたいと願うことです。
自分のことで恐縮ですが、ありのパパは若いときから人のために生きるということを目標にしてきました。
しかし今振り返ってみると、本心は「人のために生きているような振りをして、実は自分のために生きていた」ように感じます。
では今はどうかと言いますと、自分のために生きているときは調子が悪い。
しかし人様のために生きているときは心の調子がよい。
それで自分の心の健康のために、意識して他人のために生きることを心がけるようになりました。
「同じじゃないか!」と言われるかもしれません。
最大の違いは自分の無力を認めているか否かにあります。
無力を認めていなかったときは、人のために生きれば生きるほど無意識のうちに自分の功績として受け取っていました。
それで、うまく行ったときは傲慢になり、失敗したときは卑屈になりました。
それが無力を認めている今は、うまく行っても行かなくても、無力な自分とは関係がないということが分かっています。
それでうまく行ったら神の恵みによると感謝を捧げ、失敗したときはどこに問題点があるかを分析し対策を立て解決策を実行します。
③自由に生きる
自由に生きるとはどういうことでしょうか?
それは自分と自分自身が自己一致していることです。
『役に立つ考え』の中に「私の幸せは自分自身と仲良くやっていくことから来る」とあります。
自己一致していないと人の顔色をうかがって自分の対応を決めがちになります。
そのような生き方はとうてい自由な生き方とは言えません。
真に自由な生き方とは、自分が何を欲し、何を目指しているのかを知っていることです。
自分の本心が分からないという人が案外多いものです。
実はありのパパもそのうちの一人でした。
環境が自分の自由を許さない場合はまだいいのですが(それを言い訳にできますから)、経済的に比較的自由に生きることが出来るようになったとき、どうしたらよいか分からなくなってしまいました。
自己一致しており、自分の本音が何であるかをはっきり知っていることが自由に生きるための絶対条件です。
④自分の可能性を追求する
まず初めに注意しないと行けないのが、これは『自己実現』とは違うということです。
自己実現の本質は律法主義です。
律法主義とは自分の努力によって救いや満足に到達しようとすることです。
良い学校、良い会社と、これが出来たら私は合格と自分をむち打って生きてきた人が飛びつくのが自己実現です。
これこそ究極的な「これが出来たら合格」主義=律法主義です。
では自分の可能性を追求していく生き方とはどのようなものでしょうか?
それは無力な自分を認めることを基礎・土台として生きる生き方です。
その土台の上に可能性の家を建てるのです。
ありのパパの例で言えば、自分が回復できたようにどなたかおひとりでも12ステップによって回復の人生を歩んでいただきたいと願っています。
自分が生きている間に何人ぐらいの方に回復のお手伝いをすることができるか楽しみでなりません。
【まとめ】
回復は外面の変化から始まって内面の変化へと深まりゆくものです。
「ただ単に止まっている」ところで止まっているとしたら大変もったいないことです。
私たちお互いは回復の全工程を生きる人生を歩ませていただきたいものです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。