(2020/05/11記事更新)仏教について議論されるときに「自力か、他力か?」というものがあります。
これに対して12ステップは「無力である」と答えます。
この記事は自力・他力・無力について解説しています。
1.自力(じりき)、他力(たりき)、無力の簡単な説明
一般的に仏教でいう自力(じりき)とは禅を組むなどして悟りの境地に達することを言います。
他力とは禅を組むなどの修業を通してではなく「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えることによって一瞬にして救いに到達することを指しています。
12ステップでは「無力を認める」ことが第一ステップとなります。
アルコール依存症者はアルコールに対して無力であることを認めます。
癇癪持ちは怒りの爆発に対して無力であることを認めます。
アダルトチルドレンは人間関係嗜癖について無力を認めます。
仏教でいう自力・他力と12ステップが教える無力の関係はどうなっているのでしょうか?
2.12ステップの無力と信仰はセットになっている
12ステップが教える『無力』はステップの2の『自分を超えた大きな力』とセットになっています。
問題を解決できない原因は自分の無力にあると認めるなら、当然のこととして解決は無力である自分を超えた力ということになります。
そのゆえに自分が無力であると思っていない人はステップの2に進むことができません。
進むことができないとは自分を超えた大きな力を信じることができないということです。
12ステップに取り組んでいる人で「自分は神を信じることに抵抗を感じる」と言われることがあります。
しかしこれは実は宗教に関する問題ではありません。
なぜなら12ステップは霊的なプログラムであっても宗教的なプログラムではないからです
ハイヤーパワーを信じることができない本当の理由は自分の無力を認めていないからです。
これはクリスチャンにとっても同じことが言えます。
信じているというのですが、どう見ても信じているように見えない場合があるのは、罪に対する自分の無力を認めていないことが真の理由です。
3.自力でも他力でもない。無力である
自力か他力かを考えているときは自分の無力は考慮の対象になっていません。
無力である自分は棚に上げて、どうでもいい「救われ方」について議論しているのです。
手術をしてもらう患者がやるべきことはただ一つです。
それは黙って手術台に乗ることです。
それをしないで医者の手術の仕方を患者である自分が議論しているのです。
このおかしさに気づかなければなりません。
①出発点は無力を認めることでなければならない
正しくスタートをきれるかどうかが、すべてを決します。
無力を認めることができたら、当然のこととして無力な自分を越えた大きな力への信仰が生じます。
信仰が生まれたら、今度はその神に自分の人生を委ねてみようと決心するようになります。
このようにして12ステップは勢いをもってやっていくようにできていますし、またそうするときに大きな効果を発揮します。
②自分なりに理解した神とは?
自分なりに理解した神というとき二つの意味があります。
ひとつは現時点において自分が信じることが可能な神ということです。
もうひとつは自分よりも大きな力をもっているということです。
➂神概念も進歩・発達する
ハイヤーパワーとの関係が深まっていくにつれて、神概念も成長していく必要があります。
初めは依存症から回復することだけを願っていました。
それで神概念も単なる「回復をさせてくれる神」というものでした。
それがだんだんと変化し、自分のためだけに生きるのではなく、神と人々のために有用な存在となるような生き方を志(こころざ)すようになります。
それにともなって神概念も単なる「回復の神」から、「私を愛し、私を導いてくださり、力を与えてくださる神」へと変化するようになります。
4.どんなハイヤー・パワーを信じようとも、その人の自由
12ステップミーティングに参加する私たちは各々(おのおの)が信じる神について問題にしないし議論もしません。
ただ一つ気を付けないといけないのは無力を認めているかどうかだけです。
どんなに神を信じているように見せかけていても、自分の無力を認めていないなら、それは無意味です。
◎回復と平安と祝福を祈っています。