信じて救われる神の世界と頑張って達するこの世の満足

(2020/04/15記事更新)人生には二つの生き方があります。
一つは自力で満足を得る道であり、もう一つは信じることによって真の満足を得る道です。
この記事はこの二つの生き方を明らかにし、神の救いを得るために必要なことを解説しています。

1.頑張る生き方と神を信じる生き方

「キリストの十字架のメッセージは滅びに向かっている人々にとっては実に愚かな戯言(ざれごと)に聞こえるだろう。しかし実際に救いを受けた私たちにしてみれば神の力そのものである」[コリント教会への手紙第一1章18節]

この世の中には二つの生き方があります。

一つは皆さんが良くご存じの「これが出来ればOK、これが出来なければnot OK」という生き方です。
この生き方は聖書に出てくる「律法を守ることによって神の救いに到達しようとする」生き方と同一のものです。

ユダヤ人は律法を守ることによって、異邦人である私たちは頑張ることによって、真の満足(救い)に到達しようとします。
しかしそのどちらもが決して救い(真の満足)に達することはないと聖書は言っているのです。

2.「キリストの十字架のメッセージ」とは何か?

「これが出来たら合格」という生き方では決して合格点を取ることが出来なかった私たちに代わってキリストが私たちの身代わりになって下さったというのが聖書のメッセージです。

福音(ふくいん)とはこのお方が私の身代わりになって下さったことを信じるなら、その信じる信仰によって私たちは救われる(真の満足)という知らせです。

しゃかりきになって「がんばらなくてどうする。がんばれば何でも出来る!」と励んでいる人にとっては、このキリストの十字架のメッセージは「アホか!あまえたことを言うんじゃない」ってなもんです。
バカバカしくてお話にならないでしょう。

しかし我力(がりき)によって真の満足に到達することを諦(あきら)め、「キリストが頑張りきれない私の代わりに十字架に掛かって死んでくださった。私はこのキリストを信じる信仰によって真の満足に到達する」と決めた私たちにとっては神の力そのものです。

〇キリストこそ、私たちのために救いの道を開いてくださった神の救い主です。

3.信じるためには自分の無力を認めていなければならない

キリストを信じるのに条件は何もありません。
しかしただ一つ、果たしていなければならない前提があります。

それは自分の無力を認めることです。
自分の力で真の満足に到達できると考えている限り、ダメです。
自分の力によっては決して真の満足に達することは出来ないと徹底して認めることが大前提です。

あなたはいかがでしょうか?
ご自分の無力を認めておられるでしょうか?
それとも「認めてやってもいい」みたいな感じでしょうか?(笑)
それは認めているとは言いません。
認めている振りをしているのに過ぎません。

「満ち足りた神信仰を持っている人は心を満たすために食べるが、そうでない人がいくら食べても心が満たされることはない」[箴言13章25節]

すべての方がご自分の無力を認め、キリストなら私を救ってくださると信じますように。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

メール登録をお願いします!

新しい記事を見逃したくない方はメール登録をどうぞ!新記事をメールでお知らせします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました