(2020/02/17記事更新)聖霊に満たされ続ける方法は何でしょうか?
この記事ではまず聖霊充満と神学・心理の関係を明らかにし、聖霊に満たされ続けるための三つの方法を解説しています。
1.聖霊の満たしと神学の関係
聖霊の満たしの定義ほどキリスト教の教派ごとの見解が異なっているのは珍しいです。
福音派の中の聖潔(きよめ)派と呼ばれるアルミニアン・ウエスレアン神学に立つ教会とペンテコステ教会は救いの恵みに続く第二の恵みとしての聖霊のバプテスマを認めています。
カルビン系の教会は救いの恵みに続く第二の恵みとしての聖霊のバプテスマを認めません。
もっとも現在の状況は上記の説明とは大分異なるものになっています。
というのは神学の違いをやすやすと乗り越えて、多くの方々が聖霊のバプテスマを体験なさっているからです。
要するに「良いもんは良いんだ!」というわけです。
しかしこのような状態は多くの問題も引き起こしました。
そもそも神学の目的は「単純・素朴の信仰を厳密な思考によって支える」ことです。
神学なしの信仰体験の一人歩きは非常な危険を伴っています。
神学の一面には「信仰のデータベース」という面があります。
どういうことかと言うと、地理的・歴史的に離れたキリスト者の経験や考えをまとめたのが神学であるということです。
私たちキリスト者は神学を常に参照することによって、自分の個人的体験や考えを絶対視して誤謬(ごびゅう)に陥る危険から免(まぬが)れることが出来ます。
2.聖霊の満たしと心理的問題の関係
ある人は聖霊に満たされて順調に成長軌道に乗ることが出来るのに、ある人はどういうわけか聖会ごとに涙と鼻水をもって恵みの座に進み出ています。
(これはいつまでもスタートラインに留まっている状態を表しています)
キリスト教会の側でもこの問題は認識されてきました。
結論は個人の生育歴が霊的成長の障害になっているということです。
ここまでは多くの方が「なるほどね!」と同意してくださるのではないでしょうか?
しかし次の段階である「どうやって障害になっている生育歴の問題を解決すれば良いのか?」ということになると有効な手段を見つけることが出来ないままでいるという状況です。
ありのパパもこの問題をずっと考えてきました。
一時期はカウンセリングとカウンセリング的アプローチによって解決可能ではないかと考えた時期もありました。
しかし現在では、カウンセリングによって個々の問題を解決することは出来ても、その方の生き方の根幹まで変えることは不可能であると結論しています。
3.ミーティングに参加する
パウロ書簡を読むと、初代教会は家の教会の性質を兼ね合わせていたことが分かります。
特定の人が語り、他の人々はただ聞いているだけというような教会ではなく、すべての人が、語り、聞くということを行っているのを見ることが出来ます。
ありのパパも12ステップグループに参加して、この参加者全員が語り、聴く、ということを体験しました。
そこで気づいたことは、このような営みには聖霊の働きが伴うということです。
キリスト者がミーティングに参加されている時に、ありのパパが気になったことがあります。
それは彼らは「こうあらねばならない」という『べき論』を引きずっているということです。
また彼らは自分の話をしません。
他人の話や家族の話をします。
このようなことではミーティング参加を何年続けたとしても一ミリの変化もないでしょう。
もし変わりたいと願うなら、自分以外の誰かを変えようとすることをやめ、自分の話だけをすると決心しなければなりません。
他人の話をありのままに受け入れ、自分の話だけをするという営みの中に神が働かれ、私たちは真の変化を体験することができます。
これが共同体から得ることのできる『助け』です。
もし可能ならば皆さんが出席なさる教会で有志の方々でこのような「言いっぱなし、聴きっぱなし、他言無用」の小集会を始めてみてはいかがでしょうか?
4.12ステップに取り組む
現代に生きる私たちはどうしたら自分の短所や性格上の欠点を明確に知ることができるでしょうか?
それは12ステップに取り組むことによってです。
現代においてそれ以外の方法をありのパパは知りません。
クリスチャンの多くは短所がないふりをするか、例え認めたとしても具体的に自分の短所を把握していません。
自分の短所を明確に把握できるまでは、短所を取り除いていただくことは不可能です。
この短所が取り除かれない限り、聖霊に満たされ続けることもまた困難です。
聖霊に満たされ続ける秘訣は個人的体験の殻に籠らず常に神学に当たることによって健全さを維持すること、また生育歴から来る問題を解決すること、そのために「言いっぱなし、聴きっぱなし、他言無用」の小集会に継続的に参加すること、そして12ステップに取り組むことの三つであるようです。
◎回復と平安と祝福を祈っています