手放して、あとは神様にお任せする生き方の勘どころ

自力・我力の放棄

(2020/02/17記事更新)12ステップ・グループで使うスローガンの中に「手離して、あとは神にお任せ」というのがあります。
一体何を手離せば良いのでしょうか?
この記事ではそれについて解説しています。

        

1.何を手離すのか?

ちょっと考えるだけでも、これだけのものが出てきます。

・心配・恐れを手放して、あとは神様にお任せ

・将来どうなるかという不安を手放して、あとは神様にお任せ

・欠点を手放して、あとは神様にお任せ

・他者(パートナー・子供・同僚・友人など)を自分の思い通りに動かしたいという病的なコントロール欲求

要するに不健全な不安を手放してしまえば良いのです。
では不健全な不安とは、どんなものでしょうか?

        

2.健全な不安と不健全な不安

・将来の不安

健全な不安と不健全な不安を区別することが大切です。
たとえば貯金がないことを不安に思うのは健全な不安です。
逆に貯金が一円もないのに「ちっとも不安じゃありません」という方がおられたら、こちらが不安になります(笑)。

・子供が学校に行きたくないと言ったとき。

子供のその一言で「将来にわたって登校拒否と引きこもりが続くのではないか?もうお先真っ暗だ!」と思うのは不健全な不安です。

「誰だって長い人生のうちには『学校に行きたくない』『会社に行きたくない』と思う日もある。ジタバタする必要なんかちっともない」と受け止めることが出来るように、その不安に思う気持ちを神にお任せすることです。

        

3.手離した後は、どのように生きれば良いか?

①自分が自分自身の親になる。

これはどういうことかと言うと、自分が自分自身の善きマネージャーとなって、常に何くれとなく自分自身の調子を伺うのです。
これが出来る人と、出来ない人の差は大きいです。
出来ない人は(オーバーワークになりがちなために)人生のどこかで燃えつき症候群に陥ったり、大病を患う危険が大きくなります。
自分自身を大切に出来る人は、心静かな平安な人生を送ることができます。

②他者のために生きる。

ご自分の霊性を保持するために継続的に活動することです。
「そんなミエミエの活動でいいんですか?」と問う方もおられるかもしれません。
聖書に「どんなに善いことをしても愛がないなら何の役にも立たない」と書いてあるのは、他人に自慢するために善行しても何の意味もないという教えです。

今ここで言おうとしていることは、そういうことではありません。
自分の霊的状態を保持するという明確な目的のために善行を行えということです。

➂どのように実現するか?

一足飛びにボランティアをしようとか考えてはいけません。
なぜならその考えは余りに飛躍しすぎており、実現可能性が小さいからです。
たとえば大地震や大津波が起きたとき、日本全国からボランティアの方々が駆けつけてくださいます。
しかしすべての人がそのように出来るわけではありません。
何か一つのすでに形のあるものに飛び付くのではなく、自分が置かれた場所で何ができるかを静まって考えるのです。
そして自分でなければならないことは何かを考えることができるなら、なお良いでしょう。

決して無理をしてはなりません。
なぜなら無理をしているという意識は被害者の視点で人生を生きることにつながり、それでは善行にならないからです。

・どこかに行くのではなく、自分が置かれた場所で始める。
・途方もないことを計画するのではなく、自分のできることから始める。
・「自分のやりたくないことをやりなさい。また自分のやりたいことをやらないようにしなさい」

今日から一つずつ「やりたくないことをやり、やりたいことをやらない」を始めてみようではありませんか。
そうしたら必ずあなたの霊性は保持されます。
保持されるどころか、ぐんぐんと成長しはじめることでしょう。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

        

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