神が七日目に休まれた理由は私たちが休日の意味を真に理解するため

(2020/02/05記事更新)「休日も勉強や仕事をしたい」と考える方はおられませんか?
この記事では神が七日目に休まれたのは私たちが休日の意味を真に理解するためであることを明らかにし、具体的な休日の過ごし方を解説しています。

1.休日の意味

旧約聖書の創造の記事には神が六日間の創造の業を終えて七日目に休まれたとあります。
神に休む必要があるでしょうか?
もちろん全能者には休む必要はありません。

とするとこれは聖書を読む人々にとって模範となることを配慮して書かれたのだということになります。
どういうことかと言いますと、聖書を読む人が「あぁ、そうか。神様でも七日目に休まれたのなら、弱い存在である人間は必ず七日目に休まないといけない」と考えるためということです。

この七日目に休むとは一週間のうちの一日は必ず休息のために使う日にするということを指しています。

間違った休息の定義

この面におけるキリスト教の歴史を振り返ってみると、とてもおかしな実践の連続でした。

イエスご在世当時のイスラエルでは安息日に遠出する距離が決められていました。
これは敬虔に安息日を過ごすことができるようにという人間的配慮から出てきたものでした。

しかしいくら動機は良いものであっても願ったような結果が得られるとは限りません。
願った結果が得られなければ、そのやり方は放棄して別のやり方をすることが必要です。

ありのパパにもそのようなお粗末な思い込みと間違った実践がありました。
ひとつ実例を上げますと、日曜日に選挙に行くことに違和感を感じ、選挙に行かなかったことが一度だけありました。
もっともこれは失うものが多いことに気づいたのと、教会の牧師からの愛のある戒めにより、自分の間違いに気づくことができました。

では現在のありのパパは安息日(休息日)をどのように捉えているかご紹介しましょう。

2.休息日は一週間を振り替える日

ありのパパの休息日は一般の方と同じように日曜日です。
この日曜日を月曜から土曜までの活動を振り返る日としています。

ありのパパは一日24時間を一分単位ですべて記録しています。
(aTimeLogger2というアプリを使っています。iphone版とandroid版がありますが、振り返りのためにはiphone版のほうが役に立ちます)

①一日単位で振り返る

祈りと黙想の時間に前日の振り返りを行います。
この時間は実に楽しい時間です。

なぜなら神の力がお約束の通りに自分の心と生活のなかに流れ込んできているのを見ることができるからです。
その事実をみて「神様は実に素晴らしいお方だ」とか「神様、ありがとう」と神への感謝と賛美に満たされます。
そのことが生きるモチベーションにもなっています。

②一週間の振り返り

日曜日の祈りと黙想の時間に月曜から土曜までを振り返ります。
これも実に楽しい時間です。

・この調子で一ヶ月ごと・四ヶ月ごと・一年ごとの振り返りもします。

3.振り返りは人間だけが持てる習慣

振り返りの習慣を持つようになってから思うことは、振り返らずに生きていくのは、わきまえのない犬や猫と変わらない生き方だということです。

また振り返りの習慣を持つようになってはじめて、休む必要のない神が創造の業を終えて七日目に休まれた真の意味を見いだしたように思えました。

どういうことかと申しますと、今までやって来たことを完成させる最後の段階が振り返りだということです。
振り返りを行ってはじめて一連の行動は完成します。

そしてそれが次の行動への出発点となります。
このように見てみると振り返りは木に例えると年輪のようなものです。
年輪のある木だけが材木として用いられることができます。
なぜなら年輪のない木は柔すぎて材木に利用することができないのです。

私たちはメリハリのある生き方をしているでしょうか?
それとも神から与えられた人生をズルズルべったに過ごしているでしょうか?
お互いに省みたいものです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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