12ステップが教える自己意志とか自分なりに理解した神とは何か?

(2020/02/05記事更新)ステップの3では自分の意志と生き方を自分なりに理解した神に委ねます。
理解が難しいのは「自己意志とは何か?」と「自分なりに理解した神とは何を意味しているのか?」です。
この記事ではその点について解説しています。

1.自己意志とは何か?

意志とは何をするべきかをチョイス(選択)する精神の力です。
12ステップが教える『生き方』とは人生(life)とか生活を指しています。

意志の力が行動を生み出します。
行動の積み重ねが生活と人生になっていきます。

何回も失敗しているにもかかわらず「今度こそうまく行く」と考えるのは強迫観念です。
本当の自由とは、やるべきと分かっていることをやれる自由です。

依存症の人が回復するためには二つのものをあきらめねばなりません。
一つは依存の対象になっている物であり、もう一つは自己意志です。

意志とは「何をするかを選ぶ精神の力」ですが、ここに重大な問題が存在します。

2.私たちが思い通りに生きていけなくなった理由

私たちが思い通りに生きていけなくなった真の原因は強迫観念です。

強迫観念をビッグブックでは『最初の一杯の狂気』と呼んでいます。
では狂気とは何でしょうか?
狂気とは真実ではないことを真実と信じ込むことです。

私たちは何度も何度も失敗しているのに「今度こそ、うまくいく」という思い込みをしていることはないでしょうか?
「私はそんなことない」という方であっても安心はできません。
なぜなら私たちの心には強力な否認のシステムが働いているからです。

私たちは他人がギャンブルにのめり込むと簡単にギャンブル依存症というレッテルを貼ります。
しかし自分が宝くじを毎回懲りもせずに行列にならんで買っていても、自分がギャンブル依存症だなどとは微塵(みじん)も思いません。

宝くじを買う人はいくつもの言い訳を用意しています。
いわく「息抜きだ」「たまにはときめかないと」「大した金額ではない」などです。
しかし今まで宝くじに投資したお金の総額を考えると卒倒してしまうほどの金額をドブに捨てているのではないでしょうか?

この見え透いた言い訳を正しい言い訳であると思い込んでしまうことを狂気と呼びます。
私たちの心と生活に、この狂気は潜んでいないでしょうか?
心したいものです。

3.自分なりに理解した神

宗教では信徒全員が同じ神を信じます。
しかし12ステップでいうところの神は「自分なりに理解した神」であり、どんな神でも良いとされています。

自分で解決できないときでも、自分以外の力に頼れば解決できるときもあります。
しかし解決できたからと言って、自分が無力でなくなったわけではありません。

また宗教を拒否したからといって、神を否定したことにはなりません。
「神が分からない」と言っているとき、その人は他の人が信じる神が自分には分からないと言っているのに過ぎません。

そういうわけですから、どなたであっても「これなら信じることができる」というところからスタートすることが可能です。
これが12ステップが宗教ではないが「霊的な」プログラムであると呼ばれる理由です。

4.委ねられない本当の理由

本能が暴走した結果、恨みや恐れなどの不快感情が生まれ、それが神のコントロールを受けさせなくしました。

私たちはなぜ傷つくのでしょうか?
それは欲求を満たしたいという思いが暴走して、他の人を傷つけてしまったからです。
傷つけられた人は当然のことながら私たちに向かって反撃します。
それによって私たちは『傷ついた』という感情を持つようになります。

要するに自作自演の一人芝居のようなものです。
一番大きな問題は私たちが恨みや恐れをもっていると、神に自己意志を委ねようとしても委ねることが出来ないということです。

5.回復と自己意志の関係

12テップに取り組んである程度経つと「昔は変な行動を選んでいたな」と思うようになります。
言い方を替えると「回復するとは回復以前の自分の行動が恥ずかしく思えるようになること」と言って良いかもしれません。

私たちが「自分の意志や考え方が変わってきた」という体験を持ちたいなら、私たちはどうしても「あえて自分の意志を手放す」という選択を日々の生活の中で行うことが必要です。

私たちの欲求をコントロールしてくれるのは私たちの奥深いところにいる神にほかなりません。
その神に私たちが繋(つな)がっていく手順が12ステップです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

メール登録をお願いします!

新しい記事を見逃したくない方はメール登録をどうぞ!新記事をメールでお知らせします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました