(2020/01/22記事更新)ありのパパが12ステップに出会って最初に思ったのは「アルコールを罪に置き換えればキリスト者の問題にも適用できる!」ということでした。
この記事ではキリスト者に12ステップを適用するとどうなるかを解説しています。
1.様々な12ステッププログラム
「キリスト者の12ステップ」というのが、ありのパパが最初に出会った12ステッププログラムです。
しかしこれは「依存症は病気であって罪ではない」という12ステップで最も大切にされている理解が旧態依然(きゅうたいいぜん)たる理解にバックスライドしていました。
次に出会ったのがAAの12ステップです。
これは回りくどいところがなく分かりやすかったです。
それはそうです。回りくどいと理解できる前に依存症で死んでしまいますから。
実際的で勿体(もったい)ぶったところがないところに好感をもちました。
しかしありのパパ自身がアルコール依存を持っていないこともあって、何かピンと来ないところがあったのも事実です。
その次がACのための12ステップです。
これは同類と言いますか、まさにありのパパのための12ステップであると感じました。
しかしミーティングに参加するなかで強く思ったのは「このままミーティングに10年間参加し続けても『12ステップが分かった!』という瞬間はやってこないだろうな」ということです。
そこで思いきって「依存症からの回復を目指す施設」で12ステップを学んでみようと決心しました。
神様はこの決心を祝福してくださいました。
施設でプログラムの学びが修了したとき、私の人生は変わったものになっておりました。
この施設で学んだのがリカバリー・ダイナミクスという中間施設向けに改変された12ステッププログラムでした。
2.12ステップをアルコール以外の領域に適用する
1939年にビックブックが発刊されて約80年になります。
その間にAAが12ステップを他の依存症のグループにも使用することを許可してくださいました。
そのためアルコール以外に薬物・摂食障害・ギャンブル・性依存症・買い物依存・AC・共依存・感情と情緒の障害などありとあらゆるものに適用されつつあります。
これをどうすればキリスト者の霊的成長のために用いることができるかが、ありのパパの現在の課題です。
先に述べましたように現在でも既にキリスト者のための12ステップは存在します。
しかし、これらは病気と罪の区別が明確でないという見過ごすことの出来ない問題を抱えています。
3.聖い生活が決定的に重要
キリスト者の中には「人間は弱い存在だから罪を犯しても仕方がない」と簡単に言う人がおられます。
しかしこれは大変な間違いです。
なぜならアルコール依存症者がはじめの一杯を飲むと死ぬまで飲み続けてしまうのと同じように、キリスト者が初めの罪を犯すなら罪を延々と犯し続けてしまうからです。
回復したアルコール依存症者に初めの一杯を拒絶する力は与えられていても、二杯目を拒絶する力は与えられていません。
同様にキリスト者にも初めの罪を拒絶する力は与えられていても二番目の罪を拒絶する力は与えられていないのです。
では、どうしてそうと分かっているのに初めの罪を犯してしまうのでしょうか?
それはキリスト者の中に12ステップで言うところの強迫観念が存在するからです。
4.とらわれ・強迫観念、止め続けることが出来ない
12ステップに取り組むことによって依存症から回復できるように、キリスト者も12ステップに取り組むことによって罪の問題に打ち勝つことが可能です。
a.問題の本質は私たちが無力ということ
アルコールに無力→罪の力に無力
b.解決は私たちを超えた大きな力
自分を超えた大きな力→イエス・キリスト
c.決定的な霊的体験
12ステップに取り組むことによって実現する霊的目覚めはどちらの側にとっても決定的に重要です。
5.人格的変容の重要性
「アルコールさえ解決できれば俺は何も問題ない」と思っているアルコール依存症者が多いのですが、実はそうではありません。
問題の核心は暴走する自分の意志(自我)にあります。
ですからこの問題を何とかしない限り、問題が本当に解決したということは出来ません。
この問題を解決していない依存症者は執行猶予が切れ掛かった犯罪者のようだと言われます。
全く同じことがキリスト者に対しても言うことができます。
キリスト者にとって罪を犯さなければ、それで良いのではありません。
問題の核心は暴走する自分の意志(自我)にあります。
生き方が変わるのに十分な人格の変化がどうしても必要です。
◎回復と平安と祝福を祈っています。