霊的経験のあとには内的成長に効果のある実践が続かなければならない

(2020/01/15記事更新)キリスト教福音主義の教会では伝統的に霊的体験を強調します。
この記事では霊的体験のあとには内面の成長のために本当に効果のある実践が続かなければならないことを解説しています。

1.霊的経験のあとに実践が続く必要がある

1975年2月7日はありのパパが救いの確信を神様にいただいた日です。
その時のことを今でもはっきりと覚えています。
午前二時半のことです。
喜びが潮(うしお)のように三畳の下宿の部屋に押し寄せてきました。
喜びで息も出来ないほどでした。

それは今から思うと、12ステップを通して与えられる霊的体験と共通点を持つものでした。

しかし、その霊的体験のあとに続いて12ステップのような「簡単な霊的道具一式」があるのを教えられることはありませんでした。
ただ、熱心に教会に通い続け、聖書を読み、伝道に励むなら、私たちは自然に成長するのだと教えられました。

しかし残念ながら自然に成長するということはありませんでした。
それはありのパパのこの45年間の信仰生活を振り返ってみるならば明らかであろうと思います。

その故にありのパパと同様に、信仰に入ったは良いが、なかなか成長できないでいることを心苦しく思っている方がおられるなら、そのような方の助けになりたいと願っています。

もし私たちが回復・成長しようとするなら、そのために必要なものはすべて揃っています。
ですから少しも躊躇(ちゅうちょ)することなく、12ステップの学びへと歩(ほ)を進めていただきたいと願っています。

2.救いの確信を得て、良かったことは何か?

それは自分が神に愛されていることを体験的に知ったことです。
自分が神に呪われているとか、神に裁かれていると思ったことは、この45年間ただの一度もありません。
毎瞬毎瞬、自分が神に受け入れられているのを実感しつつ生きてきました。

私の悩みは、そうであるのになぜ内面の問題が解決しないのか、内的な成長が乏しいのか?というところにありました。
決して[神と私]の関係で問題があると感じていたのではありません。

3.12ステップを学ぶには自己肯定感が必要

12ステップを勉強していて感じたのは、プログラムに取り組む人々に自己肯定感に乏しいのではないかということでした。
たとえば「自分なんか生きていても仕方がない」とか「自分は神に裁かれて当然の存在だ」というような思いです。

ありのパパにしてみれば、とんでもない思い違いです。
私たちはみな神に愛されている存在であり、私たち一人一人は神の目に尊い存在です。

そのような訳で12ステップを学ぼうとされる方は自己肯定感をもつために自己受容(自分は尊い存在であるという事実を受け入れること)に励む必要があると感じています。

12ステップを学ぶなかで、どうしても自分が神に受け入れられているという確信がもつことができないなら、ためらわず神に救いの確信を求めていただきたいと願っています。
神はあなたの求めに応じて必ず救いの確信をお与えくださいます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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