(2019/12/16記事更新)ステップ3では自分の意志と生き方を自分なりに理解した神に委ねる決心をします。
この記事では委ねるために果たさなければならない三つの条件を解説しています。
目次
1.決心をするDECISION(判断)
日常生活における一つ一つの判断が私たちの人生を決定します。
私たちが人生を変えようとする時、ともすれば人生そのものに焦点を当ててしまいがちです。
しかしそれではうまくいきません。
なぜなら私たちの人生は私たちの一つ一つの判断の積み重ねの結果だからです。
人生を変えようとするなら私たちの判断の仕方を変えることに焦点を当てる必要があります。
では判断の仕方を変えるために必要なことは何でしょうか?
①早すぎる決心と遅すぎる決心
私たちが決断に失敗するときは大抵「早すぎる決心」と「遅すぎる決心」のときではないでしょうか。
状況の推移を見極めず、予(あらかじ)め自分の判断を決めてしまうと、いざという時は何もかも状況が変わってしまっており、事前の判断が何の役にも立たないということがよくあります。
逆に「その時に考えれば良い。出たとこ勝負だ」と思っていると、いざその時には如何(いかん)ともしがたい状況になっているのです。
では私たちはどうすれば良いのでしょうか?
それはその状況に応じてトライ&エラーを繰り返すことによって合理的な判断を行い、それによって神の意志に到達することです。
このやり方であれば、状況待ちをして見逃し三振になる危険からも免れますし、早すぎもせず遅すぎもしない丁度良い決断が出来ます。
たとえば恋愛において早すぎる決断とは相手の気持ちを確かめることもせず、一人舞い上がって突き進むことです。
このような場合、結婚してから「こんなはずじゃ、なかった」ということになりかねません。
恋愛における遅すぎる決断とは相手が熱烈にプロポーズしているのに「そうね~。よく考えてみる!」みたいな曖昧(あいまい)な対応をしてしまうことです。
その結果、相手に「ひょっとして相手はそんなに自分のことが好きではないのかも?」と思わせてしまい、関係そのものが終わってしまう危険もあります。
このお話はお分かりのように、同一のカップルを各々の視点から見ています。
「じゃ~どうすれば良いんだ!」という話ですが、そこはそれ、皆さんにご自分で結論を出していただきたいと思います。
②意志と生き方とは何か?
意志(WILL)とは思考・考えのことであり、生き方(LIFE)とは行動・生活&人生を指しています。
私たちが生活を変えようとするなら、まずその前に思考を変える必要があります。
2.回復するために手放す
回復を手にするために私たちは二つのものを手離します。
①アディクションの対象を手放す
アルコールの問題で悩んでいるならアルコールを手離す必要がありますし、ありのパパのように怒りの問題を抱えているなら怒ることそのものを手離す必要があります。
あるギャンブル依存症の方はギャンブルに再び手を出さないために自分の財布に常に2000円だけを入れるようにしています。
この方は経済的余裕があり、社会的立場もある方なのですが、それでもアディクションを手離すためにはどんな犠牲も払う覚悟があるのです。
②自分の意志を手離す
意志とは自分で方向性や目標をきめ、何をするかを決める精神の作用です。
私たちは沢山(たくさん)の選択肢(せんたくし)の中から選べるとき自由だと感じます。
しかしその選択肢を取り除かれると不自由に感じます。
けれども現実の問題としては私たちの「囚(とら)われ」の故に、かえって自分が行使する自由のために私たちの人生は不自由なものになってしまっています。
だからこそ自分で決めることができる自由を手離し、神が私にお与えになる使命に生きる決心をするのです。
ある壁時計の話
その時計はなんで自分が壁にぶら下がっているのか知りません。
壁に引っ掛かっているような不自由な場所ではなく、もっと自由でラクになれる場所があるのではないかと妄想しています。
この時計がそのような妄想に浸っている限り、この時計に解決はありませんし、心が苦しいままです。
しかし「私がこの壁に引っ掛かっている」のではなく「神が私を、時(とき)を知らせる役目を果たさせるため、壁に置かれているのだ」という理解を持つとき、時計さんは苦しみから解放され、生きる目的を見つけることが出来ます。
さて、私たちはどうでしょうか?
不平・不満を言い募っている時計さんでしょうか?
それとも自分がなぜこの場所に置かれているのかを知って、その置かれた目的を果たそうと全力を尽くしている時計君でしょうか?
③他者へのコントロールを手離す
まわりの者が自分の思い通りに動いてくれるとき、自分の人生はうまく行っていると感じるものです。
そのための戦略として親切・思慮深さ・忍耐・寛大・節度・献身等を用いることがあります。
もう一方の対照的な戦略は、意地悪・利己的・わがまま・不正直を使って人を自分の思い通りに動かそうとすることです。
これら二つのものは対照的な戦略ではあっても、目的は「自分の思い通りに人を動かすこと」という点で本質的に同一のものです。
しかしこれらのやり方は決してうまく行きません。
なぜなら人は皆、自分のために動きたいのであり、他人の思惑(おもわく)のために動きたいと考える人はいないからです。
3.自我の暴走という人生に幕を下ろす
私たちが落ち込んだり不安になったりするのは、頑固な自我(自己意志)の極端な暴走にすぎません。
その故にこれからは落ち込んだり不安になったりしたときは「あぁそうか。今自分は自我が極端に暴走しているんだな」と受け止めることです。
そうしたら、いくら落ち込んだり不安になったりしても、そのような自分を笑い飛ばすことが出来るようになります。
①頑固な自己中心の考えを捨て去らなければ私たちは破滅する
私たちが確かな回復を手にするためにはどうしても「自分で選んでいく」という自分の意志を手放すことが必要です。
なぜなら自分の意志で生きた来たはずなのに、自分の人生を振り返えると自分の信じている価値観・道徳にふさわしい生き方が出来なかったのを認めざるを得ないからです。
②自分の一番深いところに神を見いだした
強迫観念がある潛在意識よりもっと深いところに神がおられます。
その自分の一番深いところにおられる神と、顕在意識である「私」が自覚的につながるとき、中間層にある「本能」とか「自分自身」とか「潜在意識」と呼ばれるものをコントロールすることが出来るようになり、結果として私たちは新しい人生を生きることができるようになります。
問題解決の秘訣は、どうやら自分が神のように振る舞うことを止め、新しいボスを得ることにあるようです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。