(2019/12/06記事更新)皆さんの中で「私は他人に不用心に心を許し、近づきすぎてしまう」という方はおられませんか?
この記事ではこの問題に悩む方からのご相談にお答えする中で原因を明らかにし、解決方法を解説しています。
1.相談内容
ありのパパさん、こんばんは。
ブログを夢中になって読ませていただいております。
強迫観念を超えた神の意志を、こう捉えればいいのかと、何度も何度も納得しました。
疑問に思ったのは、この強迫観念はどこから生まれるのでしょうか?
一つは父によって殴られたことによって刷り込まれた恐れです。
成人してからも人は理由なく突然危害を加えるのではないかという誤った信念を持ちました。
私は他の人が父親のようには殴らないし怖くないと思いました。
かえって他人に無用心に心を許し、近づき過ぎてしまうことがあります。
これも過去の経験から刷り込まれたものだと思いますが、ありのパパさんの様にうまく説明できません。
父親によって刷り込まれた恐れが原因だとは思うのですが、反対の誤った信念を持っていると思います。
他人の方が安全という誤った信念でしょうか?
2.相談への回答
こんにちは、ケイさん。
ご相談をくださり、ありがとうございます
①だれもが養育者によって恐れを刷り込まれているわけではない
これはありのパパの個人的な体験に過ぎません。
しかし、このような方が多くおられるのではないかと考え、ブログに書いています。
ここで注意しなければならないのは、たとえ養育者によって恐れを刷り込まれていなくても、人は生まれつき恐れを持っているということです。
私たちが生まれつき持っている恐れは良いものでも悪いものでもありません。
ただ、その用い方によって私たち自身に良い影響を与えたり悪い影響を与えたりするということです。
たとえば目を閉じて歩くと、身体がすくみます。
これは恐れが健全に作用している証拠です。
もし恐れが作用せず、目を開いているのと同じように道に飛び出して行ったら、どうなるでしょうか?
(その他にも将来への恐れから、人は貯金に励むなどの効用があります)
では恐れの悪い用い方とはどんなものでしょうか?
それは恐れと不正直がつながった場合です。
たとえば私は恐れが動機となって不正直な対応を人々にとりました。
どうせ説明しても分かってくれないし、心を尽くして説明して分かってくれなかった時のほうが怖いと思い、不正直な態度をとりました。
これが恐れの悪い用い方です。
②強迫観念はどこからやって来るか?
ケイさんが言われる「強迫観念」と12ステップが言うところの「強迫観念」の内容が同一であるとしてお話を進めます。
12ステップが言うところの強迫観念とはアル中における最初の一杯を飲ませる「狂気」です。
初めの一杯を飲んだら飲むのを止めることが出来ないと分かっていながら、見え透いた言い訳を自分にしてしまう狂気です。
癇癪持ちにとっては怒ってはならないと分かっているにもかかわらず「このケースでは怒って当然だろう」と思ってしまう狂気です。
この狂気・強迫観念は無くならず、治ることもありません。
ただ回復があるのみです。
ケイさんのご質問は「この強迫観念はどこからやって来るのか?」ですね。
この強迫観念は嗜癖を使い続けるうちに脳の報酬系に依存症回路が出来ます。
そして一旦その回路が出来てしまうと、生きている間は依存症回路が無くなることはありません。
その回路を通して「嗜癖を使え!使うと楽だよ!」というウソがやってきます。
③強迫観念は12ステップを踏むことによってコントロール可能
ただし、無くなるのではありません。
買い物依存症の方が言われていたのですが、脳内でスイッチが入りそうになるのが分かると、なるべく速やかにその場を立ち去るとのことでした。
私の場合も、怒りのスイッチが入りそうになると、それが明白に分かるので自分に対して「お前に普通の人と同様な怒り方は出来ない。だから怒ったらいけないよ」と言い聞かせ、十秒以内に思いを翻(ひるがえ)すようにしています。
このように強迫観念を嗜癖スイッチと言い換えても良いかもしれません。
回復するというのは、そのスイッチを入れないで生きていくことです。
④アダルトチルドレンにとっての強迫観念とは?
「ACの問題」に書かれてあることが、ACにとっての強迫観念に当たります。
a.孤立しており、人や権威を恐れる。
b.病的な承認欲求。
c.他人が発する怒りや批判に怯(おび)える。
d.アル中と結婚したり、仕事中毒と結婚したり、病んだ「見捨てられ欲求」を満たそうとする。
e.人の言いなりにならずに、自分の意見を述べると罪悪感を持つ。
これらの特徴は他の人から見たら「あなた、それはおかしいでしょ?」と言われるようなものであるにもかかわらず、本人はそう思えず、同じ失敗を何度でもやらかします。
強迫観念は「誤った行動を行え!」という命令がくだされることです。
そして回復とは強迫観念が教えるウソを容易に見破ることが出来るようになることを言います。

3.不用意に人に近づきすぎる理由は何か?
第一に考えられる理由はACの問題の12番目にある「私たちは人に依存することを嗜癖として使っている」が原因かもしれません。
私たちは子供時代に誤った人間関係のあり方を学んでしまったので、大人になっても無意識のうちにそれを使っています。
そして気がつくと人に依存することを嗜癖として使っているようになっています。
次に考えられる理由はACの問題の4番目です。
「私たちはわざと強迫的な問題を抱えた人を見つけ、その人たちから見捨てられる痛みを感じることを嗜癖として使う」
子供時代に役に立たなかった方法を大人になっても「今回はうまく行くかもしれない」と考えます。
そして失敗すると「やっぱりダメだった」と納得するのです。
「これを見捨てられる痛みを感じることを嗜癖として使う」と言います。
どうぞご自分でACの問題を一つ一つご自分に当てはめてみて、しっくりくるものを見つけ出してください。
見つけ出すことができれば、それからの回復を目指して12ステップに取り組みます。
◎回復と平安と祝福を祈っています。
