「自分なりに理解した神」概念の出所と、それを変えないことの大切さ

(2019/11/23記事更新)12ステップでは自分なりに理解した神を信じるようにと勧めます。
この記事では「自分なりに理解した神」概念が出てきた経緯を明らかにし、これをそのままで受け入れる大切さを解説しています。

1.「自分なりに理解した神」概念の出所

福音派キリスト教のオックスフォード運動に参加することによってアルコール依存症から回復したエビー・サッチャーは古くからの友人である同じアル中のビル・Wのもとを訪れました。
そして霊的体験を得ることによってアルコール依存症から回復可能であることを伝えました。
ビルは胡散臭く感じながらも、すっかり生まれ変わったのが誰にもはっきりとわかるほどであったエビーを見て反発を感じながらも否定することができなかったのでした。

しかしビルがどうしても受け入れることができなかったのが神概念でした。
なぜならそれまでの経験で神や教会やキリスト教というものに対して修復しがたい傷を心に抱えていたため、キリスト教の神概念を受け入れることができなかったのです。
それでエビーとの対話の中でエビーが思わず口走った「君が理解できる神概念で構わない」という言葉が突破口となりました。
この瞬間が12ステッププログラムが霊的運動になった瞬間であると言われます。

2.教会は「自分なりに理解した神」概念を変えようとしてはならない

ありのパパが12ステップの勉強会に参加して驚いたことの一つは多くの人々にとって神という概念が受け入れがたいものであるという事実です。
ありのパパなどはいとも簡単に「はい、神を信じます」と言ってしまうのですが、多くの人々にとってはそうではありません。
そうであるならば、初めの一歩で躓かせるよりも「自分なりに理解した」神ということにしておいた方がよいと考えます。

しかもこの神概念は回復が進むにつれて、より高次な神概念へと変化していくことが期待されています。
ありのパパに12ステップを教えてくれた方は「はじめは自分の願い事を実現してくれるだけの神だったのが、回復が進むにつれて次第に利己的ではなく利他的に生きるために神の意志を知り、神の意志を実行するための力だけを求めるようになる」と言われました。

この理解はキリスト教と同等か、あるいは教会以上の教えであると言えないでしょうか。

◎回復と平安を祈っています。

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コメント

  1. しん より:

    ありのパパさんいつもありがとうございます。
    はじめてACやEAのミーティングに出席した時に、「自分なりに理解した神」という言葉に、キリスト教会に通っていたことのある私は抵抗を感じました。

    「はじめは自分の願い事を実現してくれるのが『自分なりに理解した神』だったのが、回復が進むにつれて利己的ではなく利他的に生きるために神の意志を知り、神の意志を実行するための力だけを求めるようになる」

    この文章を読んで私も衝撃をうけました。
    思えば、私の神への信仰というのはご利益信仰からはじまっていましたし、教会へ通っていながらも私の心のゆえに福音から程遠かったからです。
    そしてその結果として現在教会へ通っていない私があるのだと思います。
    EAミーティングに出席しはじめたばかりの私は、まだ第1ステップの最中のように感じています。
    まだ12ステップのことがよくわかりませんので、ブログで書いていただいているのは本当に感謝です。
    またいつも深い気づきや希望、慰めを与えられております。
    本当にありがとうございます。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、しんさん。
      コメントをありがとうございます。

      依存症からの回復施設のスタッフは、12ステップの講義をするときに何番目のステップであっても1・2の復習をしてから、そのステップの学びをはじめていました。
      多いときは全時間の半分を1・2のステップの復習に当てていました。
      それぐらい無力を認めること、神様なら自分を回復させてくださると信じること、その神様に自分の意志と生き方を委ねる決心をすることの三つが大切なのですと仰っていました。
      キリスト者もそのような姿勢に学びたいものですね。

      またコメントしてください。お待ちしています。

  2. マッキー より:

    ありのパパさん、こんにちは。

    1、「無力を認めること」→ 自分が生かされていること自体が神様からの罰。

    2、「神様なら自分を回復させて下さると信じること」→神様に捨てられたと思う。

    3、「神様に自分の意思と生き方を委ねる決心をすること」→神様から呪われ、忌み嫌われていると思う。

    時々、こんな風に感じてしまう私は、どの辺から回復に向かって取り組んだらよろしいでしょうか?
    「別の御言葉によって対抗しましょう」とか「神様の愛が分かるようになるまで祈りましょう」とか言われても、実際に感じている感情を無理矢理抑え込んでいるようでツラいことがあります。

    私のどこらへんがおかしいのでしょうか?

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      ご質問に対するお答えを明日(2015/02/03)火曜日の当ブログに掲載しますのでよろしければご覧ください

      またコメントしてください。お待ちしています。

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