(2019/11/22記事更新)キリスト者の中にも陰謀論を声高に語る者がおります。
この記事では陰謀論と聖書的キリスト教の違いを明らかにし、物事を正しく理解するために必要なことを解説しています。
1.陰謀論は人や組織に、聖書的キリスト教は神に原因を求める
歴史を概観(がいかん)したり、事件の背後にある意志や意味を知ろうとするときに両者の違いが顕著(けんちょ)に現れます。
陰謀論はユダヤ人の陰謀(いんぼう)であると言ったり、アメリカ政府の陰謀であると言ったりします。
ネット右翼(ネトウヨ)と呼ばれる神道原理主義の人々は中国や韓国の陰謀であると言い立てるのが得意です。
そこに共通するのは事件の背後にある意志が「人や集団」であるという見立(みた)てです。
しかし聖書的なキリスト教は違います。
聖書的キリスト教は歴史を支配しておられるのは「人ではなく神」であるとします。
2.歴史を支配しているのは人や偶然ではなく、神ご自身
神がご自身の計画にもとづいて歴史を動かし、ご自身の意志を実現しようとしておられます。
キリスト以前の歴史(旧約の歴史)は人の世に神の御子をお送りになり、その神の御子が人類の罪・咎(とが)を背負って十字架にお掛かりになるという神のご計画を実現するためのものでした。
そして十字架の救いが実現した以後の歴史における神の御目的は何かと言えば、それはキリストの救いが教会の宣教を通して広がることであり、キリストの再臨によって世が終わりを迎えることです。
3.物事を正しく見るのに必須のことは神の視点でものを見ること
聖書的キリスト教の視点で陰謀論の主張を見ると、その特徴は矮小化(わいしょうか)であるということができます。
ユダヤ人の陰謀とかアメリカ政府の陰謀であると言いますが、問題はそこに神の意志とご計画を認めようとしないことです。
しかし事実はすべての出来事に神の意志とご計画があるのであり、それを認めないことは致命的な視野狭窄(しやきょうさく)であり、物事を正しく理解することに絶望的なほどに失敗しています。
どうしたら誤りから免れることができるか?
a.何かが起きたときに脊髄反射(せきずいはんしゃ)のように誰かのせいにしない
一呼吸おいて、ここから読みとらなければならない神の意志とご計画は何だろうかと考えることを習慣にする。
b.お気軽に分かろうとしない
今は分からないこともあり、後に分かるようになることもあると認める。
c.パズルのように聖書の言葉(殊に黙示録の預言)を現実の事件に当てはめない
かつて福音派教会に属する人が「ソビエト連邦は反キリストである」と言った人がいました。
しかしその後、ソ連邦は崩壊し消えてなくなってしまいました。
これを突っ込むなら「反キリストはどこに行ったんじゃい!反キリストはいなくなったんか?それは聖書の預言とちがうのォ~」となります(笑)。
後に恥を見るようなことをすべきではありません。
考える努力を続けていると、いつのまにか陰謀論から卒業している自分に気づくときがやってきます。
◎平安と祝福を祈っています。