(2019/11/20記事更新)ACが12ステップに取り組もうとするとき、特有の困難があります。
この記事ではどんなところに気をつけて取り組めばプログラムをやり遂げることが出来るかについて解説しています。
1.自分に責任があるものだけを棚卸しの対象にする
(ありのパパの個人的体験を例に出して話を進めていきます)
私が父親から突然殴られるという虐待を受けたことについて私には何の責任もありません。
しかしこの体験から「他の人も何の前触れもなく突然自分に危害を加えるのではないか?」という恐れを刷り込まれ、成人してからも恐れが動機となって不正直な態度をとったことは私自身の責任です。
また父親の虐待をおろおろするばかりで見て見ぬふりをした母についても、子供心に「なぜ母は私を守ってくれないのか?」と思ったのですが未熟な子供でしたので、そのことを聞くことができませんでした。
この聞くことが出来なかったということに関して、そのとき私は子供でしたので何の責任もありません。
しかし「聞いてはいけないんじゃないんだろうか?」という思いは成人してから他者への不正直な態度となって現れました。
これについては私に責任があります。
このように問題をきちんと二つに分けることが大事です。
幼年期の虐待についてはカウンセリングによって対応します。
そして大人になってから起きたことについては12ステップの棚卸しの対象とします。
2.自己受容していなけれは棚卸しできない
ACが12ステップを実践する際に最も問題になるのがステップ4・5の棚卸しとステップ8・9の埋め合わせです。
なぜ棚卸しをやるかというと、それは自分の性格上の欠点を知るためです。
しかしACにとっては自分は虐待を受けた被害者であるのに、なぜあたかも自分が加害者でもあるかのように自分の悪いところをあげつらわなければならないのかということになります。
8・9の埋め合わせに至っては埋め合わせをして欲しいのは自分であって他人に埋め合わせをすることではないということになります。
なぜそう思うのかといえば、それはしっかりと自己受容をしていないからです。
何を言われても自分が責められるように感じるし、棚卸しは自らの行いについて検討を加えているのですが、自分の存在が否定されるように感じます。
これらはみな自己受容が不徹底であることの現れです。
3.幼年期の体験と成人してからの出来事を区別する
幼児期に虐待された経験を持つACであっても成人してから発生した問題については自分に責任があります。
しかし私たちACは自分に責任がある問題についても心の中では「これは虐待経験のせいであって仕方のないことなのだ。本当は自分に責任はない」と思っている節(ふし)があります。
しかし事実はそうではありません。
ほかのACでない人と同様に、その問題の責任は本人にあるのです。
しかしこの問題も自己受容がしっかりと出来ていないと自分の責任を引き受けることが出来ないという面があります。
ではどうしたら良いかというと、自己受容と12ステップをあたかも車の両輪として進んでいくのが良いということになります。
自己受容しつつ、さらに回復と成長を目指して12ステップを実践していきたいものです。
4.アダルトチルドレンの問題は12ステップになじまないという主張
ACの問題が12ステップとなじまないと考える人々は、12ステップグループの替わりに虐待専門のカウンセラーの元に行くことや、幼児期のトラウマをもっている者同士のグループカウンセリングへの出席を勧めます。
実際、アメリカの依存症からの回復施設では幼年期の虐待経験(性的虐待も含みます)を棚卸しの対象とせず、虐待専門のカウンセラーに委ねるという姿勢をとっています。(リカバリーダイナミクスを採用する中間施設)
この問題をありのパパがどう考えているかというと、確かに棚卸しの対象に幼児期の虐待経験を入れてはならないと考えます。
しかしACが回復しようとするとき依然として12ステップだけが最も有効な手段であることは他の依存症と同じです。
なぜならアダルトチルドレンは人間関係の嗜癖に依存する依存症の一種だからです。
要するにACが12ステップになじまないと考える人々はアダルトチルドレンが依存症の一種であることを否定しているのです。
12ステップによる回復を目指していない人々もミーティングに参加することは何の問題もありません。
日本では虐待専門のカウンセラーはほとんどいませんから、もし12ステップグループが12ステップによる回復を目指さない人をを対象外としてしまうと虐待経験者は行き場を失ってしまうことになります。
ですから現実問題として12ステップグループがこの問題を請け負っていく必要があると考えています。
◎回復と平安を祈っています。
