今日は読者の方からのご相談です。
皆さんも「自分ならどのように答えるだろうか?」と考えながらお読みくださると幸いです。
(ここから相談者のご質問)
精神障害を持つ、クリスチャンです。
精神安定剤も飲んでます。
被災地で開拓伝道している教会の礼拝に参加させていただいています。
そこで思ったのは、高齢者の介護問題は待ったなし。
そして、被災地において伝道したい、救われるように、看取り人として取り組みたいという思いがこみ上げてきました。
とは言え適性を見ようと思い、教会のお年寄りの集会に参加したり、仕事や家庭の家事をコツコツとして生活の質を高めています。
被災地に足を運ぶようになってから、精神障害が軽くなって、傾聴する余裕も生まれてきました。
パストラル・ケアというものがあるということを知りました。
でも、そこでは精神疾患を持つ人は受講できないということで、なんか悔しかったです。
でも、わかりますが・・・。
何かいい導きはないでしょうか。アドバイスお願いします!
(相談はここまで)
ご質問をくださり、ありがとうございます。
私は質問者さんがアドバイスを願われているのは以下のことであると理解しました。
すなわち、道が閉ざされたように思うが、
①ちがう道を行くべきだろうか?
②回り道をしてでも、この道を進むべきだろうか?
③この困難(精神疾患を持つ者は受講できない)をどのように乗り越えていったら良いだろうか?
この三つに要約できると考えましたが、これでよろしいでしょうか?
よろしいとして先に進むことにいたします(笑)。
①被災地において、伝道することと看取り人として取り組みたい思いがあるが、ちがう道を行くべきだろうか?
この御質問に答えるのは簡単です。
それは自分自身に聞いてみると明確に分かるからです。
というのは、その思いが一時的なものならばちがう道を探すのもありということになりますし、その思いが一時的なものではなく永続的なものであるなら、この道を進み続けるべきです。
では自分の中にある情熱が一時的なものか、それとも永続的なものかはどうやって区別することが出来るのでしょうか?
それは男女関係を参考にするのが良いでしょう。
恋愛感情にカッーと燃え上がっているときは「この人しかいない!」と感じるものですが、その恋が終わりしばらくすると、名前さえ思い出すことが出来ません。
これはその思いが一時的なものであったことの証拠です。
これに対して長く夫婦生活を続け、病気か何かでパートナーが亡くなったとしても、あたかもその人が自分と一緒にいるかのような感情を感じることがあると言います。
これはその夫婦関係が永続的なものであったことの証明です。
はたして相談者の情熱は一時的なものでしょうか?それとも永続的なものでしょうか?
ありのパパはどちらでも良いと考えています。
なぜなら、その感情が一時的なものであるとするなら、それは神様があなたに他のものを備えておられるということだからです。
神の意志に反して自分の人生を生きることほど惨(みじ)めなことはありません。
どうぞ、ご自分の心に聞いてみてください。
果してこの思いは一時的なものなのか、それとも永続的なものなのかと。
②回り道をしてでも、この道を進むべきだろうか?
①の質問に対する答えに掛かってきますが、もしご自分の情熱が永続的なものであって、越えられない壁があるなら、当然回り道をするべきであるということになります。
というか、それ以外の答えを考えられないと思います。
もしそれ以外の答えを考えることが出来るとしたら、その情熱は一時的なものであるということが出来るでしょう。
ありのパパの個人的なことをお話しさせていただくなら、ありのパパは初めカウンセリングを学びました。
より深くカウンセリングを学んでいくうちに臨床心理士の資格を取ろうと考えたことがありました。
しかし時間的な問題や金銭的な問題を考え、その道は諦めました。
のちに12ステップに出会い、その道を進むようになりました。
今振り返ってみると、もしあのとき臨床心理士の道を進んでいたら、12ステップに出会っても、多くあるカウンセリングの一つぐらいにしか受け止めることをしなかったであろうということです。
一つの選択をするということは他の選択肢を放棄するということでもあります。
今目の前にある選択肢を放棄したとしても、のちにそれが必要なことであったと気づくときもあります。
③この困難(精神疾患を持つ者は受講できない)をどのように乗り越えていったら良いだろうか?
この質問をされて、ありのパパの心にすぐに浮かんだのは「精神疾患を持つ者は受講できないというなら、精神疾患を経験した者でなければ出来ないことをやれば良い」ということです。
何も恥じることはありません(誰も恥じてないか(笑))。
「これがあるからダメ」と思っているものが実は「これこそが私の持ち味であり強み」なのです。
自分でも気づかない持ち味・強みを人様がわざわざ教えてくださっているのです。
「ありがとうございます」と感謝をして、受取らせていただきましょう。
◎ご自分の人生を真摯に生きようとしておられるあなたに神様の豊かな祝福と平安がありますようにと祈ります。