裁かないで生きていく三つの秘訣

イエスの説教の中でもよく知られているものに「人を裁いてはいけない」というのがあります。

「人を裁いてはいけません。人を裁かなければ、あなたがたも神様から裁かれません」[ルカ6:37]

ありのパパは信仰に入ったばかりの頃、この箇所を読んで「これはむずかしいぞ!」と思いました。
そして自分なりに人を裁かないように努力してきました。
しかし今振り返ってみると自分のやったことは「裁かない振り」でしかありませんでした。
今日は皆さんとご一緒に、どうしたら裁かないで生きて行くことができるかを考えてみます。

①そもそもなぜ裁くのかを考えてみなければならない

それは「人はこうあるべき」という価値観を相手に当てはめ、その相手が自分の価値観が指し示す水準に達していないからです。
ではこれから、この裁きの構造・裁きの罠(わな)からどうやって逃れれば良いかを考えていきましょう。

②自分の価値観を相手に当てはめるのはなぜ?

それはその相手が自分のもの(所有物)だと思っているからです。
その対象は会社の同僚や上司や部下、家庭内であれば夫・妻・子供、また友人や近所の奥さんかもしれません。
このように言われると「私は人を自分のものだなんて思ってません!」と強く抗議なさる方もおられるでしょう。
しかしそのような方に限って普段からよく「あの人ったら、もう(ダメなんだから)!」と言われていないでしょうか?
それはとりもなおさず、相手は自分の思っている通りに動いて当たり前と思っている証拠です。

③裁かない秘訣は手離すこと

原因が分かれば解決は簡単です(その原因に心から納得していればの話ですが)。
自分のものだと思い込んでいるから、人を裁くのです。
しかしイエス様は「裁いてはならない」と命令なさいます。
さぁ、どうしたもんかねぇ~(笑)。

でもね、よく考えると手離したほうが得ですよ!
人を裁くということが人間関係のトラブルの最大の原因なのですから、裁くのを止めれば、トラブルの最大の原因を除去することになり、あなたは人間関係の悩みから解放されるという寸法です。

④手離すやり方⇨神に委ねる⇨神が受取られる⇨握っているその手を離す!

ではどうしたらその握っている手を離すことが出来るでしょうか?

a.その人は元々自分の所有物ではないことを確認する

自分の夫であっても、子供であってもです。
自分の親であっても、自分の妻であってもです。
このことが本当に分かったら、元々自分のものでもないのに、あたかも自分のものであるかのように錯覚していたことに気づきます。

b.気づきを得るまで手離し続ける

多くの人は「はい、分かりました。手離しました。一丁(いっちょう)上がり!」みたいな感じで良しとしようとします。
しかしそれは手離した振りでしかありません。
こんなことを何回しようと何の変化もあなたの人生に訪れることはありません。

神のお定めになった日が訪れるとき、あなたは心が静けさに満ちているのを知るようになります。
これが手離したことの印です。

c.日ごとに手離し続ける

心に静けさが与えられたら、もう手離さなくて良いのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
一日ごとに、朝ごとに祈りと黙想の時間に、自分が握っているものを神に手離していく営みが必要です。
昨日委ねたはずなのに今朝起きたらまた自分の手に戻っているのに気づくはずですから。
そのようなときに「あら~、神様は私にお返しくださったのね」などと寝言を言わないことです(笑)。
それが戻ってきたのは、あなたが今日もお献げするかどうかを確認するためなのですから。

どうやら人を裁かないで生きていく秘訣は、自分の所有物でないことを心の深いところで気づいていく、心に静けさが満ちるまで手離し続ける、そして日毎の営みとして手離していく、この三つであるようです。

◎平安と祝福を祈っています。

自助グループとの関わりの中で裁かない生き方を実践するための記事をお読みになりたい方は人を裁かない生き方と12ステップ共同体をご覧ください。

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