(2019/11/11記事更新)「義人(ぎじん)の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコブ書5:16)
聖書がいう義人とは信仰によって歩んでいる人のことです。
この記事では効果的な祈りについて解説しています。
1.宣言する祈り
これはどういうことかというと、ぐずぐずと祈らないということです。
一言で言えば明快に祈るということです。
人様の祈りを批評して申し訳ないのですが「解決は難しいと思いますが、少しでも事態が改善されますように」と祈る人がいます。
私がそのような方に言いたいのは「聖書には『もし出来ればと言うのか。信じる者にはどんなことでも出来るのである』と書いてあるのをご存知ではありませんか?」ということです。
もちろん、ことの大きさを思うとき解決は一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないと考えるのは人間的には理解できます。
しかしそれは効果のある祈りとは言えません。
ご自分の中にある「こうなってほしい」との思いを単純に申し上げることです。
それはまさに幼子(おさなご)が両親に目をキラキラさせてお願いごとをするようにです。
間違っても、子供が「これ買って、買って、これ買って~」と泣きわめくのが幼子の祈りだと勘違いされませんように。
このような祈りはどんな祈りであっても聞かれることはありません。
賢い親は「泣き喚けば親は自分の言いなりになる」という間違った思い込みを子供に刷り込むような真似はしないものです。
2.献げる祈り
献げる祈りとは「手離して、あとは神様にお任せ」を具現化するものです。
たとえば人間関係が思うようにいかないのは、ほとんどの場合に私たちが握っているからです。
それに気づいて、その人を手離します。
そしてあとは神様にお任せします。
同様に「これは解決不能だろう」と私たちが思うのは、その問題を私たちが握っているからです。
それで問題解決のために手放し、神に委ねます。
では国際問題はどうでしょうか?
もちろん国際問題を握っている人はそう多くはないでしょう。
しかしある特定の国際問題が解決不能であると思っているのは、それの解決のために神に期待していないからではないでしょうか?
神に期待していないとは、言葉を換えて言えば私たちが問題を握っていると言うことです。
ですから、そのことに気づいたら「神様、この問題をあなたに献げます。この国を、この団体を、このリーダーを神にささげます」と祈ります。
そうしたら自分の内面に不思議なことが起きます。
それは今までは本音で言えば解決は無理だと思っていたのが、献げたあとでは「この問題は今、キリストの手の中にある」と感じ、問題解決は可能であると考えることが出来るようになります。
3.自分が手に入れたいと願っているものが、その人たちにも与えられるように祈る
ご自分が手に入れたいと願われているものは一人一人みなちがいます。
ある人は「何と言ってもお金ね」と思っておられるでしょうし、ある人は「やっぱり平和で幸せな生活かな?」とお答えになるでしょう。
何でも構いませんので、ご自分が与えられたいと思っているものが、その人々にも与えられるように祈ります。
この祈りは12ステップで「人を赦すための祈り」として有名なものです。
この祈りを実践すると、祈っている相手に対して愛を感じるようになります。
これはとても不思議な体験です。
どうぞ皆さんも実践し、体験へと導かれますように。
4.視野を世界大に拡大する
①海外の問題
世界では様々な国が様々な問題のために争っています。
私たちはそれらを一つ漏(も)らさず祈りの対象としたいものです。
ちょっと世界を見回しただけでも、イスラエルとパレスチナ(ハマス)、日本と韓国・中国、スーダンと南スーダン、ウクライナ、西アフリカのエボラ出血熱、アフガニスタン・イラクなどのイスラム教原理主義勢力の問題があります。
②国内の問題
〇国内の神道原理主義勢力がこれ以上伸長しないように。
〇ネット右翼(ネトウヨ)や神道原理主義系勢力の働きが神の力によって妨げられるように。
なぜこれらを祈らなければならないかと言いますと、私たちの国の歴史の中でキリスト教は二度迫害されました。
一回目は江戸幕府に、二回目は神道原理主義政府によってです。
どちらも歴史の必然という面がありますが、しかし効果的に祈られたとは決して言えません。
「迫害は忘れたころにやって来る」ものです。
現在の安倍内閣が「秘密保護法」「集団的自衛権」「歴史認識の見直し」に遮二無二(しゃにむに)向かっている本当の理由が何であれ、私たちは歴史の教訓から学ぶ必要があります。
私たちが熱心に祈ると神は私たちをご覧になり「見よ、彼らは祈りおるなり」(聖書)と私たちの祈りを受け入れてくださいます。
私たちはますます熱心になって祈ろうではありませんか!
◎平安と祝福を祈っています。
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